平成三十年東京都登録
特別保存刀剣鑑定書
関ケ原の合戦の功で筑前五十万石の領主となった黒田長政は、九州の要としての自覚から武備充実に熱心で、勇士や優工の召し抱えに意欲を示した。主の想いに応えた猛将竹森貞幸が箱崎で見出した刀工が利英と利平の兄弟。この利英の子是次が明暦元年に藩命で江戸の石堂是一門を叩いて備前伝を修め、福岡石堂家を興した。守次は是次の従兄弟で技量伯仲し、延宝八年に是次の養子となり、家督を継承している(注①)。
鎬高く仕立てられたこの刀は、平肉に量感があり適度に反りが付いた中鋒の造り込みで、鎬筋に沿って細樋が掻かれた洗練味ある姿格好。地鉄は小板目肌が詰み澄み、細かな地景が入り、小粒の地沸が厚く付いて地肌潤い、特筆すべきは鮮やかに立った古調な映りで、物打付近が焼刃を写したような乱映りとなる。互の目丁子乱の刃文は焼頭が鋭く尖った守次独特の刃(注②)に、肩落ち風の刃、小互の目、小丁子を交え、物打付近で焼をやや広くして高低起伏が付き、総体に逆がかって律動変化し、帽子は焼深く残し、乱れ込んで小丸に返る。焼刃は純白の小沸が付いて明るく、爽やかに匂の広がる刃中に逆足が盛んに入って微かに金線、砂流しが流れる。控え目釘穴を設けた茎の保存状態は良好で、丸みのある独特の書体の銘字が鮮明。
特製の合口拵の金具は庄内金工鷲田光中の一作。鞘の漆黒に映える上質の朧銀磨地に片切彫と毛彫、そして赤銅、銀、素銅、金の色絵平象嵌で薫風を切って飛ぶ燕図が鮮やかに描かれ、心地よい五月晴を想起させて見事。