切付銘 包永 本阿弥親俊
仰木伊織所持之

大和国 南北朝時代中期 貞治頃 約六五〇年前

刃長二尺一寸一分五厘
反り 五分
元幅 九分一厘強
先幅 六分六厘
棟重ね 一分三厘
鎬重ね 一分六厘半

刀 銘 包永 本阿弥親俊 仰木伊織所持之

刀 銘 包永 本阿弥親俊 仰木伊織所持之 差表 切先刀 銘 包永 本阿弥親俊 仰木伊織所持之 刀身差表 中央刀 銘 包永 本阿弥親俊 仰木伊織所持之 刀身差表 ハバキ上

刀 銘 包永 本阿弥親俊 仰木伊織所持之 刀身差裏 切先刀 銘 包永 本阿弥親俊 仰木伊織所持之 刀身差裏 中央刀 銘 包永 本阿弥親俊 仰木伊織所持之 刀身差裏 ハバキ上

刀 銘 包永 本阿弥親俊 仰木伊織所持之 ハバキ

江戸時代の刀剣研究は盛んで、『新刃銘盡(あらみめいづくし)』(享保六年)、『新刃銘盡後集(あらみめいづくしこうしゅう)』(享保二十年)、『新刀辨疑(しんとうべんぎ)』(安永十年)などが著されている。専ら江戸時代の刀工について述べたこれらに対し、寛政四年に古刀の研究書として出版されたのが仰木伊織(おおぎいおり)の『古刀銘盡大全(ことうめいづくしたいぜん)』である。京都祇園の社司であった仰木は古刀を愛し、本阿弥家に就いて知識と眼力を養った。『古今銘盡』(慶長十六年)等の古剣書の記述を検証し、刀姿、地刃、茎の形状と鑢目等の目利きの要点、諸国鍛冶系図、刀絵図等からなる全九巻を発表した。今日も出典史料として引用される『古刀銘盡大全』と仰木の、刀剣研究への貢献は計り知れない。
 この刀は仰木伊織が所持した一口で、本阿弥親俊により「包永」と鑑定されて極め銘が施されている。包永は鎌倉後期に東大寺輾害門前辺りに鍛冶場を構えた平三郎に始まる(注)。本作は作風から南北朝時代貞治頃の包永、即ち、仰木が『古刀銘盡大全』の系図で「包永建武頃 助三郎 平四郎共云」とした包永の作と鑑られる。棟を真に造り、鎬筋高く重ね薄く、差表が切刃造、差裏が鎬造の表裏異なる造り込みとされた、凛とした好姿。地鉄は表が板目に杢、流れごころの肌を交え、差裏は小板目肌主調で刃寄りに柾を配して詰み、総体に地沸が厚く付いて潤い、地景が密に入り、沸映りが立つ。直刃調の刃文は、僅かに小互の目を交えて浅く湾れ、仰木の「沸多く」の記述通りに刃沸が厚く付いて明るく輝き、殊に差表に喰違い、湯走り、金線、砂流しが掛かり、中程から先の刃中に沸筋が流れて二重刃となり、足、葉が盛んに入り、覇気に満ちた刃中は匂で澄み冴える。帽子は沸付いて掃き掛け、焼詰めごころに浅く返り、仰木の「はきかけるも丸く焼つめるも少かへりたるもあり」の記述に合致している。
 包永と極めた本阿弥親俊(ほんなみちかとし)は、加賀前田家に仕えて『光山押形』を出版した名高い光山の四代孫で、本阿弥家の『鑑刀規範』を修め、一門屈指の鑑定名人と謳われた目利き光蘇(こうそ)の若名。仰木が研究の旅の供として座右に置き、眺めたのであろうか。光蘇の目利きぶりと篤学者仰木伊織の日々を伝える歴史的な一刀である。

注…国宝の太刀一、重文の太刀六、重美の太刀六、刀四と名品がある(『日本刀銘鑑』)

包永押形



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