平成五年福岡県登録
宗勉刀匠は昭和二年鹿児島の生まれ。終戦直後に宗正光師に入門し、昭和三十年頃には鑑定の大家池田末松先生の指導で源清麿伝に挑んで成功。昭和五十年代以降は助廣の濤瀾乱に取り組み、新作刀展で特賞を重ね、平成二年に無鑑査に認定されている。
勤皇家斎藤昌麿の遺愛と伝える清麿の短刀を範としたとみられるこの短刀は、鋒が大きく延びてふくら枯れごころの姿鋭利なおそらく造(注)。地鉄は小板目肌が詰み、地景が密に入り、地沸が厚く付いて冴え冴えとしている。刃文は房状の互の目乱に尖りごころの刃、角状の刃を交えて奔放に乱れ、帽子は乱れ込み、強く掃き掛けて長めに返る。光を強く反射して眩く輝く焼刃は、匂深く真砂の如き沸を交え、太く入った足を切るように清麿を想わせる長い金線が走り、砂流しが幾重にも掛かる。丁寧に仕立てられた茎には太鑚の銘が力強く刻されている。添銘の「光」は研師で刀匠の藤本光豊師。その協力を得た六十七歳の宗勉師の、作刀への意欲と確かな技術の示された逸品である。
鉄地二重唐草象嵌の金具で装われた、肥後様式の合口拵が附帯している。