昭和六十一年岐阜県登録
兼房刀匠は加藤賀津雄と称し、戦国時代に兼房乱を創始した兼房の二十五代目。昭和三十二年に生まれ、昭和五十年に人間国宝の月山貞一師に入門し、初銘を貞房という。修業の傍ら、東大寺で開催されていた本間薫山博士の勉強会にも参加し、古作への理解を深め、作刀の夢を膨らませて昭和五十八年に独立している。兼房二十五代と添銘し、新進気鋭の刀匠の集いである叢雲会にも参加して研鑽を積む。平成十七年の新作刀展において大鋒の志津三郎兼氏を手本とした刀で薫山賞に輝いた。
この短刀は、美濃の大先達である志津三郎を念頭に精鍛された一口で、身幅広く重ね厚く無反りの端正で力強い姿。地鉄は小板目肌が詰み、小粒の地沸が厚く付いて澄む。ふっくらと丸みのある互の目に尖りごころの刃を交えて高低変化した刃文は、刃縁が小沸で明るく、匂足が長く入り、これを遮るように金線、砂流しが幾重にも流れ、刃中には匂の霞が起ち込める。焼の深い帽子は金線、砂流しを伴い、突き上げて長めに返る。
付帯する合口拵は、艶やかな黒漆塗鞘に返角が付され、黒漆鮫皮に水仙生花図の目貫が深緑色糸で明智拵と同じく片手巻とされ、古調な雰囲気を漂わせている。御守り刀の注文に応えた作であろう。出来も上々である。