平成三十年長野県登録
特別保存刀剣鑑定書
大和大掾正則は江戸初期の越前国の刀工で、慶長十三年紀の刀や元和二年紀の脇差の他、寛永、慶安年紀の作がある。越前の国主は家康の子結城秀康で、尚武の気風が強く、越前康継を筆頭に諸国から刀工が来住し、福居城下で鎚音を響かせた。この大和大掾正則は三条吉則末裔で本国は丹後国という。
正則とその一族肥後大掾正勝の合作(注)になるこの脇差は、元来二尺を僅かに超える操作性の良い刀で、今なお身幅広く重ね厚く、鎬筋が立ち、反りを控えて中鋒の精悍な姿。板目鍛えの地鉄は、太い地景が入って肌目が強く起ち、鎬筋を横断して鎬地にも板目肌が現れ、粒立った地沸が厚く付いて鉄色僅かに黒みを帯び、越前新刀らしい精強な肌合いを呈す。刃文は互の目に尖りこごろの刃を交えて抑揚変化し、焼の谷から沸足が太く入り、細かな金線、砂流しが掛かり、刃中は匂で澄み、刃味の良さを感じさせる。帽子は焼を充分に残して良く沸付き、僅かに掃き掛けて小丸に返る。茎の目釘穴は上から二番目が生ぶの穴で、差表の正則の銘字は鑚当たりが強く、裏銘は肥後大掾正勝の自身銘。正勝には寛永三年紀があり(『日本刀銘鑑』)、正則の近親にして作刀協力者で、遺作の殆どは大和大掾正則との合作。本作は正則一門の研究上、貴重な史料である。