四君子図大小鐔

銘 伯應 花押 [後藤一乗]

江戸後期 山城国京都‐武蔵国江戸
鉄磨地障泥形平象嵌甲鋤彫打返耳
大 縦八五・二㍉ 横七九・五㍉  切羽台厚さ三・三㍉
小 縦七八㍉ 横七一・八㍉ 切羽台厚さ三㍉

四君子図大小鐔 銘 伯應 花押 [後藤一乗]

四君子図大小鐔 銘 伯應 花押 [後藤一乗]

四君子図大小鐔 銘 伯應 花押 [後藤一乗]

四君子図大小鐔 銘 伯應 花押 [後藤一乗]

四君子図大小鐔 銘 伯應 花押 [後藤一乗]

我が国の自然観が現れている装剣小道具の画題を、これまでに幾つかの作例を通して紹介してきた。温暖な気候で様々な産物が得られる我が国では、自然によって生じたすべての事物に神を感じてきた歴史がある。時にはむき出された牙に対して恐れることもあるが、むしろ豊かさに感謝する心情から生まれた自然観である。
 例えば、瓜や葡萄など蔓を伸ばして繁茂する夏の植物、盛期を経て次第に色を染めてゆく秋草、雪中に佇む丹頂鶴などの渡り鳥、海流が運んでくる魚介類などの図。いずれも四季が明確であることと、その移り行く時と共に生きている人々の存在がおぼろげにも浮かび上がってくる。単に植物のみが描かれている図であっても、それを見つめる人間の存在が窺いとれる風景でもある。
 古くはやまと絵や和歌、室町時代に我が国で発展した禅画、侘びや寂びに通じる隠遁への想い、桃山時代に萌芽した琳派の美観などに窺いとれる自然神に対する恐れや感謝の念。豊かな感動は、自然と共に、さらには自然と一体化して生きている人々の願いであり理想に他ならない。この自然観は、我が国の美意識の一端を成す情緒的思考によるものであろう。
ところが、「四君子」に代表される中国の古典に学んだ画題には、日本的情緒とは程遠い、清廉、高潔、人格的に優れた知識人の理想といった印象が漂っている。
そもそも、宋代の中国で流行した文人画の題材として好まれたのが、高貴な植物とされる蘭や菊、梅、松、竹などの植物群であり、それらを組み合わせることにより「四君子」や「歳寒三友」の画題が生まれたのである。
古代中国の絵画論である『画六法』において、著者謝赫(しゃかく)が第一に挙げているのは気韻生動。気品の漂う絵画表現を追求し、見る者に迫る空気感、生命感などの力は欠かすことができないという。
後に、職業画家の作品を技法から脱却できない形骸化したものとして批判した詩人などが、自らの心の動きを飾ることなく紙面に投じたのが文人画。絵筆に替えて表現された詩人の「気韻生動」は、言葉と融合し、あるいは共鳴し、詩歌以上に人々に迫り、大きな芸術の波となったのである。
江戸時代、古典を学んだ武士が求めた世界観の一つがこれ、高潔な意識に他ならない。四君子とは、早春の野をひそやかに彩る蘭、夏には勢いよく成長し、冬には重い雪にも耐えて青々と茂る竹、秋野を彩ってしかも薬種として価値の高い菊、真冬にもかかわらず気高い香りを放つ梅。この四つの植物を君子に擬え、理想としたのである。
この鐔は、大小の表裏四面を画布とし、各植物を彩り豊かに彫り描いたもの。精良な鉄地を泥障(あおり)形に造り込み、耳をわずかに打ち返して抑揚を付け、全面に微細な石目地を施して風もなく静かに起ち込める空気を表現している。主題はわずかに色調を違えた二種類の金と銀の平象嵌に毛彫を加えた繊細で華やかな描法。それぞれに甲鋤彫を加味し、梅は屈曲して宙を巡る枝を、蘭は長くしなやかに伸びる葉を、菊は細やかに茂る葉を、竹もまたしなやかで強靭な幹の様子を巧みに表している。また梅と菊は花弁の形状が総て異なり、切り付けられた梅花の蕊の先には花粉を微細な点刻で描き施している。それら主題の背景には小さな三角鏨による金の真砂象嵌を気の流れのように蒔き施しており、微かに起ち込める香りを想わせる。金と銀のごく僅かな色金ながら、季節感とそれぞれが備える生命感、武人が理想とした高潔さが全面に漂っている。
 幕末三名工の筆頭に数えられる後藤一乗は、京後藤七郎兵衛家四代目重乗の次男で、寛政三年の生まれ。九歳で同じ京後藤八郎兵衛家五代目謙乗の養子となり、文化二年に六代目を継いでいる。最初は光貨と銘し、文化八年に光行と、さらに文政年間の初期に光代と改銘、同七年に光格天皇の装剣金具を製作した功績によって法橋に叙され、これを機に入道して一乗の号を用いている。伯應の号銘は還暦を迎えてからのもので、後藤家の伝統的な赤銅地とは異なる鉄地の作品に刻している。特筆すべきは、老いて尚、江戸金工が盛んに用いていた鉄地に果敢に挑み、それまでにない新たな作風の創造を成し遂げ、武士の思考の本質にも迫る美空間を生み出したことであろう。
 後藤一乗は、単なる金工職人ではなく、徳川幕府に仕えた武士である。武士の立場で装剣小道具の意味を考えていた。徳川家にとっての理想は、天災もなく豊作であり、争いのない安定した世の中に他ならず、後藤家は主君の安泰を願って龍神や獅子などの霊獣図などの金工作品を製作してきた。一乗はその一方で、本作のような自らを律するための、戒めとすべき図柄の装剣小道具もまた製作していたのである。  

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