平造脇差
銘 手柄山正繁

播磨国‐武蔵国 寛政三年
三十二歳作 二百三十年前

刃長 一尺五寸二分(46.1㎝)
反り 二分
元幅 一寸三分一厘
棟重ね 二分九厘
彫刻 表裏 這龍図肉彫

『刀剣美術』二百八十四号・七百六十四号掲載
附古鞘(注①)

平造脇差 銘 手柄山正繁

平造脇差 銘 手柄山正繁 古鞘

平造脇差 銘 手柄山正繁 刀身差表切先平造脇差 銘 手柄山正繁 刀身差表ハバキ上

平造脇差 銘 手柄山正繁 刀身差表ハバキ上

平造脇差 銘 手柄山正繁 刀身差裏切先

平造脇差 銘 手柄山正繁 刀身差裏中央

平造脇差 銘 手柄山正繁 刀身差裏ハバキ上

平造脇差 銘 手柄山正繁 ハバキ

天明八年、老中松平定信は上洛の帰路、大坂で無名の刀工を見出した。抜群の刃味を備え、しかも彫物をも能くすることに感動した定信は、この刀工を召し抱えて神田駿河台に住まわせた。すると定信の期待に応え、武用のみならず津田助廣に迫る美しい濤瀾乱風の大互の目出来の優品を鍛え上げたのである。これが播磨出身の手柄山正繁(てがらやま まさしげ)である。
 さて、松平定信といえば寛政の改革。文武奨励、倹約令、飢饉問題や都市の防犯対策、そして異国船対策等を骨子とする改革に、当初、腐敗した田沼政治への批判もあり期待は大きかったが、倹約による経済の停滞や出版、娯楽等の制限に幕府内外で不満が噴出した。定信は苦境を脱すべく、先手を打って辞職願を出し、将軍に遺留されてその信任を確保し、さらに家斉の嗜好を探り、豪壮な刀を好みと知ると正繁に精鍛させた大小を寛政三年に献上。家斉より喜悦の言葉を賜って面目を施し、危機を脱したのであった。
 表題の脇差は、寛政三年将軍家への献上の旨の墨書がある古鞘が付帯する、家斉に献上された大小の小刀。身幅頗る広く重ね極厚にて姿に量感があり、小杢目に板目を交えた地鉄は緻密に肌起ち、地沸が微塵に付いて冴え冴えとした極上の美観。正繁自身彫の龍は長い体をしならせて宙を駆け、火炎と雲を纏った鱗の立つ姿で覇気横溢。得意の濤瀾風の大互の目乱刃は銀砂のような沸が厚く付き、金筋躍り、刃中は沸で明るい。小丸帽子は長めに返る。助廣創始の香包鑢が掛けられた茎は保存が優れ、献上品であるため「奥州白川臣」「彫物同作」等の添銘も年紀も入れず、「手柄山正繁」とだけ謹直な書体で小さく刻している。主命に応え、正繁が心血を注いだ唯一無二の一口で、江戸後期の歴史の一齣を伝えて貴重である(注②)。

注①…鞘書に「手柄山正繁御脇指 長壱尺五寸二分 松平越中守上 三   百五拾四」「寛政三年亥年八月廿八日松平越中守御内證献上之旨御小性頭取山田讃岐守相下ル」とある。

注②…小島つとむ「松平定信の寛政の改革と手柄山正繁」(『刀剣美術』七百六十四号)参照。

正繁押形

銀座名刀ギャラリー館蔵品鑑賞ガイドは、小社が運営するギャラリーの収蔵品の中から毎月一点を選んでご紹介するコーナーです。
ここに掲出の作品は、ご希望により銀座情報ご愛読者の皆様方には直接手にとってご覧いただけます。ご希望の方はお気軽に鑑賞をお申し込み下さいませ。