昭和六十二年東京都登録
特別保存刀剣鑑定書
直江助共(すけとも)は名を新五郎といい、助政の子で水戸台町の生まれ。天保五年四月に水戸烈公の御前で父と共に打ち、天保十年には烈公より八雲鍛えの秘伝を伝授されている。烈公が助共の鍛冶場を訪れ、助共と助俊父子を相手に鍛刀したのは、天保十一年十月から天保十三年十二月までの二年間で十四回に及び、殊に出来優れて刃味の良い作を十二代将軍徳川家慶に献上してその御意に叶い、日光社参道中の太刀は「水戸様御作に限り候」の言葉を得た(注①)。この報せは烈公の作刀を援けた助共の励みとなり、また助共の名を高めたのであった。
二尺七寸を超す表題の長刀は天保年間(注②)の作とみられ、身幅広く重ねも厚く、腰元から反りが付いて中鋒に結んだ均整のとれた姿。地鉄は小板目肌が詰み澄み、細かな地景が密に入り、地沸が微塵に付いて美しく輝き、鉄色青みを帯びて冴え、助共の特色が顕著(注③)。激しく打ち合っても絶対に折れぬようにとの配慮から焼幅が低く抑えられた刃文は、直刃に小互の目、小丁子を交えて小模様に変化する構成。焼刃は刃縁が小沸で明るく冴え、小足が無数に入った刃中に匂が立ち込めて霞立つ。帽子は僅かに乱れ込み、焼詰めごころに浅く返る。茎は横鑢が丁寧に掛けられ、軽快な鑚使いで刻された銘字に鑚枕が立つ。勤王の士水戸烈公の鍛刀への想いを誰よりも知る直江助共の、出来優れた一刀である。 違鷹羽紋図の鉄縁頭と雨龍図鐔の朱石目地塗鞘の打刀拵が付帯している。