短刀
銘 信州住真雄
萬延元年

信濃国 万延元年 百六十年前

刃長 五寸三分五厘(16.2㎝)
反り 僅少
元幅 五分六厘
重ね 二分二厘強

附 昭和三十三年
辻政信名義
貴重刀剣認定書

旧陸軍参謀辻政信所持の、源真雄の短刀。昭和三十三年十二月七日付の辻政信名義の貴重刀剣認定書の余白に「記念として之を神田八雄(注①)兄に贈る。辻政信。本刀は過去之幾多之苦難に常に身を護つた歴史を持つている」と墨で、認定書封筒に「神田兄 辻政信」と愛用の万年筆で書かれている。
 辻政信といえばノモンハン事件。昭和十四年満州国の西部国境付近のノモンハンで、関東軍がソ連軍と激突。東京の司令部は不拡大を指示するも、関東軍参謀の辻は、強敵には「寄らば斬る」の威厳を示してこそ静謐を勝ち取る事ができるとして積極策を主張。自ら偵察機で国境を越え、超低空飛行をし、さらに酸素ボンベを要する高度六千㍍の上空から敵陣を視察し、綿密に作戦を練り、最前線に立って機関銃と戦車で武装したソ連軍に怯むことなく挑んだ。
 ソ連の兵員、火器、戦闘機、戦車の数は圧倒的であったが、関東軍精鋭部隊は奮戦し、ソ連軍に二万五千人もの死傷者を出させて戦闘不能の寸前まで追い詰めた。増員を受けた関東軍はソ連に決定的な打撃を与えんと志気高まるも、東京司令部の戦闘中止命令を入れて停戦に至るのである(注②)。
辻はその後、東南アジアを転戦し、積極果敢な作戦を展開するも敗戦。僧侶、華僑に変装し、中国国民党(注③)の首都重慶に潜入して数年を過ごし、帰国後は執筆活動に力を入れ、昭和三十六年に代議士となるが…、東南アジア視察中にラオスで消息を絶ったのであった。
 この短刀は、重ねが厚く殆ど無反りの懐刀。小板目肌が詰み澄み、地景が密に入り、初霜のような地沸が付いて潤いのある肌合いを呈す。直刃の刃文は純白の小沸で匂口きっぱりと冴え、刃中も澄む。帽子は焼深く突き上げて小丸に長めに返る。茎の草書体の銘字は鮮明である。
 源清麿の兄真雄は江戸で修業した剣士でもあり、荒試しによる絶対に折れない耐久性と切れ味(注④)を備えた、剣術家として得心の行く刀を鍛えんと自ら鎚を取った。気骨と信念の刀工の短刀を懐に、祖国と東洋平和の為、難局に向き合った不屈の人、辻政信遺愛の歴史的遺品である。

注①…神田八雄は陸軍中佐。第六師団参謀。

注②…昨今の研究で、ソ連軍の甚大な損害は明らか。(辻政信『ノモンハン秘史』毎日ワンズ 参照。)

注③…辻の東洋連盟思想に国民党の蒋介石や幹部も共感していた(辻政信『潜行三千里』毎日ワンズ)。

注④…松代藩による真雄の刀の荒試しはあまりにも有名。元治二乙丑年紀の徳勝の刀(『銀座情報』二百十七号)は辻の愛刀。徳勝刀も水戸藩の荒試しを経ており、頑健で刃味優れた刀への辻の好みは明らか。

真雄押形

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