昭和四十一年広島県登録
特別保存刀剣鑑定書
陸奥守忠吉は肥前國忠吉を祖父に、近江大掾忠廣を父に寛永十四年に生まれた。万治三年十月に陸奥大掾を受領し、寛文元年八月に陸奥守となる。父と合作に当たり、代作も務めて研鑽を積み、三代目棟梁として嘱望されていたが、貞享三年に五十歳で父に先立って他界している。寡作な上、作柄の平均点が高いことから、古来「三代陸奥」と尊称されて声名が高い。
この脇差は、特別の注文で打ち上げられた大小一腰の小刀。身幅広く、鎬筋の線が凛と立ち、中鋒延びごころで力感が漲り、陸奥守忠吉らしい洗練味のある姿。地鉄は小板目肌が詰み、地景が密に入り、小粒の地沸で肌が潤って鉄色晴々とし、肥前刀中最も綺麗で冴えるとの世評(注)通りの美しさ。互の目に丁子を交えた刃文は、ふっくらと丸みのある刃、桜の花弁のような刃を交えて華麗に変化し、刃縁に白雪のような小沸が降り積もり、沸の粒子が充満して明るい刃中に零れて足となり、互の目の焼の中には沸が凝ったように葉が入って肥前刀特有の「虻の目」の態をなす。帽子は焼深く沸付いて小丸に返り、同工の特色が顕著。浅い勝手上がり鑢が掛けられた茎の保存状態は完璧で、常にも増して入念に刻された銘字に鑚枕が立つ。虎徹、真改、助廣と、知名度、実力で引けを取らない名工の全貌が示された同作脇差中の佳品である。