短刀
銘 備前國住長舩祐定作
藤原朝臣高梨孫次郎

Tanto
Bizen no kuni ju Osafune SUKESADA saku
Fujiwara no ason Takanashi Magojiro


備前国 永正頃 約五百年前

刃長 五寸四分
内反り僅少
元幅 六分五厘
重ね 二分一厘

上蓋金色絵下蓋銀着二重ハバキ 白鞘入

平成二十年神奈川登録
保存刀剣鑑定書

Eisho era (early 16th century, late Muromachi period)
about 500 years ago

Hacho (Edge length) 16.4㎝
A little curved go to innner (Uchizori kinsho)
Motohaba (Width at Ha-machi) approx. 1.97㎝
Kasane (Thickness) approx. 0.64㎝

Gold plating and silver foil double Habaki / Shirasaya

Hozon certificate by NBTHK

勇猛かつ思慮深い武将として知られる加藤清正は、慶長十九年に豊臣秀頼が徳川家康との会見のため京都二条城に赴いた際に同道し、いざという時に備えて短刀を懐中に隠していたという。熊本本妙寺に伝わる網代鞘拵の永正祐定の短刀(注①)がそれである。
 表題の短刀は年紀こそないものの、姿から清正遺愛の短刀と同様の永正年間の祐定の作。身幅尋常で重ね厚く、僅かに内に反って寸法控えめとされ、刃長に比して茎長めにて掌中での収まりが優れた、戦国武将が組打ちで用いるべく備えた鎧通しの典型。地鉄は板目に流れごころの肌を交えて強く肌起ち、地景太く入り、刃寄りが澄んで棟寄りに沸映りが立つ。直刃の刃文は、刃縁が小沸で明るく、刃境に湯走り、ほつれ、細かな金線、砂流し、一部に喰い違いが掛かり、匂が充満した刃中は冷たく澄む。帽子は金線、砂流しを伴って激しく乱れ込み、突き上げて長めに返る。茎に差裏に草書体で刻された所持銘(注②)は、武将が戦場で華々しく散ることもあろうかと、その勇名を後世に伝えるべく刻させたもの。戦国武将の懐剣の実情を今に伝えて貴重である。

注①…永正十三年二月日紀、刃長七寸一分二厘。腰印籠刻茶漆塗で下半が網代包鞘。清正公拵の呼称がある(『熊本城と武の世界』)。

注②…高梨孫次郎は永正九年に信州高井郡中村郷を安堵したとの文書がある(『信濃史料』)。同氏は源姓だが、実は別姓との説もあり、また両姓を用いた例も少なくない。肥前忠吉も住人銘で源、武蔵大掾で藤原を冠している。


短刀 銘 備前國住長舩祐定作 藤原朝臣高梨孫次郎短刀 銘 備前國住長舩祐定作 藤原朝臣高梨孫次郎短刀 銘 備前國住長舩祐定作 藤原朝臣高梨孫次郎 白鞘

短刀 銘 林喜作 差表切先短刀 銘 林喜作 差表中央

短刀 銘 林喜作 差裏切先短刀 銘 林喜作 差裏ハバキ上

 

短刀 銘 備前國住長舩祐定作 藤原朝臣高梨孫次郎 ハバキ

祐定押形