平成二十年神奈川登録
保存刀剣鑑定書
勇猛かつ思慮深い武将として知られる加藤清正は、慶長十九年に豊臣秀頼が徳川家康との会見のため京都二条城に赴いた際に同道し、いざという時に備えて短刀を懐中に隠していたという。熊本本妙寺に伝わる網代鞘拵の永正祐定の短刀(注①)がそれである。
表題の短刀は年紀こそないものの、姿から清正遺愛の短刀と同様の永正年間の祐定の作。身幅尋常で重ね厚く、僅かに内に反って寸法控えめとされ、刃長に比して茎長めにて掌中での収まりが優れた、戦国武将が組打ちで用いるべく備えた鎧通しの典型。地鉄は板目に流れごころの肌を交えて強く肌起ち、地景太く入り、刃寄りが澄んで棟寄りに沸映りが立つ。直刃の刃文は、刃縁が小沸で明るく、刃境に湯走り、ほつれ、細かな金線、砂流し、一部に喰い違いが掛かり、匂が充満した刃中は冷たく澄む。帽子は金線、砂流しを伴って激しく乱れ込み、突き上げて長めに返る。茎に差裏に草書体で刻された所持銘(注②)は、武将が戦場で華々しく散ることもあろうかと、その勇名を後世に伝えるべく刻させたもの。戦国武将の懐剣の実情を今に伝えて貴重である。