平成三年東京都登録
特別保存刀剣鑑定書
初代播磨大掾忠國は、肥前鍛冶の中枢である初代忠吉の弟廣貞(吉家)の次男で、慶長三年の生まれ。初銘を廣則と切り、寛永十一年に三十七歳で播磨大掾を受領して忠國と改銘した。佐賀藩の支藩小城藩に抱えられ、互の目乱刃を専らとして美しいのみならず切れ味にも優れて信頼厚く、多くの名刀を生み出し、九十四歳の長命を全うしている。
この脇差は、研ぎ減りなく刃区深く遺された健全体。元幅に比較して先幅もたっぷりとして、反り浅めに中鋒の延びた、鋭利な印象の強い姿格好。小板目に杢目を交えた地鉄は綺麗に詰み、細かな地沸で全面が覆われ、肌目に沿って細やかな地景が濃密に入るしっとりとした肥前独特の美しい小糠肌でも極上の肌合いを呈す。対して鎬地は綺麗な刷毛目を想わせる柾目で激しい打ち合いにも耐えられる靭性の強い鍛え。刃文は足が長く盛んに入る焼幅の広い互の目丁子で、焼頭に複合した小丁子が所々で地に突き入る態を成すなど出入りに複雑な構成線を成す。柔らか味のある焼刃は小沸と匂で明るく、刃先に向かって長く延びた足を切るように金線が流れ、物打辺りでは砂流しとなって幾重もの層状の景色を成す。帽子は端正な小丸に返る。初代忠國に特徴的な、磨の一画目が菱形となる銘が鏨強く刻されている。