平成二十八年大分県登録
特別保存刀剣鑑定書
同田貫宗廣は戦国期の同田貫上野介の十代孫で、名を小山延壽太郎という。肥後藩士ながら作刀した沼田有宗(注①)に師事し、初銘を直廣と切り、古作を範に意欲的に鎚を振るい、天保二年から明治四年頃までの作品がある。元先とも身幅が広く大鋒に仕立てた与三左衛門尉祐定写しの弘化二年紀の脇差、草倶利迦羅と梵字に護摩箸彫の映えた南北朝期の腰刀を想起させる慶応三年紀の平造脇差等の遺作(注②)がある。
二尺五寸近い長寸のこの刀は、身幅も広く重ねが極めて厚く三分を超え、しかも刃肉がたっぷりと付き、棒樋が掻かれて重量が調整されて尚ずしりと重く、先反りが付いて中鋒に造り込まれた、同田貫鍛冶が活躍した戦国時代の刀を想わせる剛毅な姿。地鉄は柾目主調の板目肌で、地景が太く入って肌模様が鮮明になり、厚く付いた地沸は柾肌と共に流れ、映りが立つ。互の目乱の刃文は二つ連れた尖りごころの刃、矢筈風の刃、牛角形の刃を交えて高低に変化し、匂口締まりごころに小沸が付いて焼頭が匂で尖り、刃中も匂で澄む。帽子は乱れ込んで丸く返り、美濃風の地蔵帽子となる。栗尻が張った茎の保存状態は良好で、横鑢から始まるやや急な筋違の鑢目、鎬地に鑚強く入念に刻された小振りの銘字も師沼田有宗と同じく特徴的。剛腕の武士の需であろう、孫六兼元を範に精鍛された一刀で、出来が優れている(注②)。注②…それぞれ『銀座情報』五〇号、三三一号掲載。
注③…差裏区上二十センチ辺の刃境に小傷があるが気にはならない。