昭和五十二年神奈川県登録
特別保存刀剣鑑定書
茎の一部が錆込んで年紀が不明遼ながら、□禄と判読できることから、永禄七年紀と鑑定された則光の作。長舩則光には「…於作州鷹取庄黒坂造」あるいは「…生年七十二」と年齢を刻した作があり、寛正頃に活躍したことから寛正則光と尊称された左衛門尉が知られている。以降も則光銘が継承され、時代が降っては永禄、天正頃に彦兵衛尉則光などがいる。
この脇差は、室町前期の小振りに引き締まった片手打の小太刀を想わせる造り込み。抜刀に適したものであろう大刀の添え差しとされていたと思われ、重ねしっかりとして身幅広く、反り強く、棒樋を掻いて重量が軽減され、操作性を高めている。地鉄は古調に小板目肌が詰み、所々に板目肌を交えて肌起ち、鎬寄りに焼刃と同調して互の目の頭から煙り込むような映りが現れる。刃文は腰の開いた互の目に小丁子を複合し、出入り複雑にして焼頭が地に突き入る態は犬牙の如し。帽子は乱れ込んで先端が蝋燭の芯のように尖りごころに返って応永備前を想わせる。焼刃は匂口柔らか味があり、刃境には柾流れの肌目に沿ってほつれ掛かり、盛んに入る小足を切るように細い沸筋と金線が層を成して走る。刃中もまた澄んで透明感があり、名流の確かな技術の継承が窺いとれる。