昭和四十八年北海道登録
保存刀剣鑑定書(土佐・年代慶應頃)
左行秀は土佐藩に仕え、慶応頃、江戸砂町の藩邸で鎚を振るい、藩主山内容堂が「今正宗」と激賞した慶應二年二月吉日紀の刀(注①)等の名刀を手掛けた。彼の作刀を支えたのが秀近、秀方、秀弘、正宣、秀隆などの門人たち。秀(ひで)弘(ひろ)は名を田内楠次郎といい、文政十年高知城下の江ノ口村比島の生まれ。幅広で鋒大きく延びた慶応年紀の刀は豪壮さにおいて師の作に迫るほどである。 この短刀は、幅広く重ね厚く、内反りが付いて寸法の延びた頑強な造り込み。板目鍛えの地鉄は地景が太く入って肌起ち、粒立った地沸が厚く付き光を強く反射して輝く。広直刃の刃文は小互の目を交え、銀砂のような沸が厚く付いて刃縁明るく、細かな金線、砂流しが掛かり、沸足太く入り、沸付いて刃中の照度が高い。帽子は焼深く沸付き、金筋を伴って突き上げごころの小丸に長めに返る。茎は、形状、鑢目すべて師と同様で、「秀」の銘字は師に似るも、第七画が大きく膨らみ(注②)、秀弘の個性が示されている。稀代の名工左行秀の絶頂期の作刀を支えた優工の貴重な一口である。