黒蝋色塗鞘打刀拵三尺四寸
柄長 七寸九分
平成三年北海道登録
特別保存刀剣鑑定書(初代)
大和大掾氏重は播磨国姫路の刀工で、名を三木新兵衛といい、明暦元年に大和大掾を受領している。京と大坂に近い姫路藩は西国外様大名の監視上の要地で、本多、榊原、酒井等有力諸侯が歴代藩主を拝命した。氏重は重責を担う播磨武士の需に応えて鎚を振るい、廣峯神社天王宝殿(注)、播磨総社伊和大明神、寛文二年正月には松原山八幡宮への奉納刀を打つなど声望は殊に高い。その優れた技術と感性は血脈と共に代々引き継がれ、五代孫の朝七が寛政の改革で有名な老中松平定信に仕え、津田助廣張りの華麗な濤瀾乱刃で一世を風靡した、あの手柄山正繁である。
兜図目貫と砂潜り龍の縁頭を黒糸で巻き締め、金覆輪を施した松樹透図鐔が映える黒蝋色塗鞘の拵が附されている。
寸法の延びたこの刀は、身幅広く両区深く、重ねの厚い洗練味のある姿。明るく詰み澄んだ柾目鍛えの地鉄はわずかに流れ、小粒の地沸が肌目に沿って現れ、細かな地景が躍動する。刃文は浅い湾れに小互の目を交え、物打付近で焼が高まり、帽子は焼を充分に残して小丸に浅く返る。焼刃は銀砂のような沸で刃縁が明るく、刃境から地中にかけて湯走りが広がり、あるいは二重刃風となり、匂の充満した刃中には細かな砂流しが太い金線を伴って断続的に掛かり、島刃風に沸が凝り、足が入る。茎の保存状態は良好で、太鑚の銘字と萬治二年紀が入念に刻され、明暦、萬治頃の刀の実像が示されて貴重、しかも出来が優れている。