平成八年山梨県登録
特別保存刀剣鑑定書(伝 手掻包清)
兵庫)鎖太刀の名称は、帯取に兵庫寮特製の堅固な鎖、もしくはそれと同じ造りの鎖を使用したことによる。その概要は、武将が大山祇神社や春日大社などの神社に奉納した太刀や、江戸時代の大名家伝来の作で知る事ができる。稀有の例ながら武将が実際に佩用したことが確実な伝来品として、安芸銀山城主武田家伝来で鎌倉後期製作の金銅鳳凰宝相華文兵庫鎖太刀などがある(注①)。
表題の兵庫鎖太刀は、鎌倉期の作を近世に写した作。柄は銀板による鮫皮の圧出し、銀長覆輪を施した鞘は桐紋が表裏に六個、頭、縁、口金、鐺、柏葉金具には立浪文、鐔の耳に菊水紋が二十九個彫られ、帯執の鎖は二つ折りにした長楕円の銀輪を連ねて鎖とする兵庫寮の古式通りの造り(注②)で重量(注③)があり、現代では到底製作し得ない貴重な作。
附帯する刀は、大和手掻(注④)包永の子と伝える包清(注⑤)の作と極められた大磨上無銘。身幅広く重ね厚く、棒樋が掻かれ、中鋒やや延びた南北朝の姿。板目に杢、柾肌を交えた地鉄は地沸が厚く付き、地景が太く入って肌目起ち、刃寄り深く澄んで沸映りが立つ。直刃の刃文は、物打付近では強く沸付き、刃境に段状の湯走り掛かり、刃中に沸筋流れて随所に喰い違い、二重刃を交え、小足が無数に入る。帽子は焼き詰める。大和手掻派の特色が顕著で出来優れ、強靭さを感じさせる一刀である。注①…弊社旧蔵。『金工三十七景』所載。
注②…『日本刀大百科事典』参照。
注③…重量は一・六八キロ。
注④…大和国東大寺転蓋門の前には包永とその一門が住し、東大寺や興福寺等有力寺院の他、寺領荘園の荘官を勤める武士を顧客とした。
注⑤…鎌倉末期嘉暦四年紀の短刀、南北朝期應安三年紀の左衛門尉包清作の短刀等の遺作がある。