金家、埋忠明壽と共に桃山三名工に数えられている信家は多くの作品を遺しているものの、その割に実像について不明な点が多く、不思議を纏った鐔工として古くから興味の対象とされており、それ故にまた人気が高い。
信家の研究は、江戸時代から行われてきたが、年紀作がないために活躍の時代については現在でも確実な答えが出ていない。ただし、福島正則の安芸国への移封に信家が伴ったことにより「芸州住」と居住地が刻された作が遺され、時代背景が、戦国末期から江戸初期にかけてであることが判明している。銘字は、かつて数種類に分けられていたが、福士繁雄先生によれば、現在では放れ銘(細字銘)、太字銘(芸州信家銘を含む)、三信家銘に大きく分類されている。製作の時代は、細字銘信家‐太字銘信家‐三信家の順となる(注①)。
表題の鐔は、表に「忠則盡命」の四文字を太鏨で、裏には細い鏨で雲龍を地文風に彫り表した、信家の特徴的彫刻技法が表裏図変わりとされた作。
信家には、花文などを打ち込んで地文そのものを装飾とした作、浅い鋤彫により亀甲文や唐草文を全面に散らした作、この鐔のような文字を鋤彫した作などがあり、数は少ないが風景を高彫表現した鐔も知られている。造り込みは木瓜形が比較的多く、次いで竪丸形がある。実用の時代背景を考慮すると、咄嗟の使用の際に拵が転げるのを防ぐ意味からも木瓜形が好まれた理由が想像されよう。また、耳を打ち返すことにより切羽台に比較して耳際を厚手に仕立てるのも信家にままみられる特徴で、これにより尾張の鐔工出身であるとも考えられている。
この鐔の造り込みは安定感のある木瓜形で、切羽台に比較して耳際がごくわずかに厚く仕立てられている。信家には比較的厚手の作が多い傾向があるも、使用者によりバランスが求められて適度な厚さに仕立てられることがあることを、本作は示している。
上質の鋼を用いたものであろう、鍛え強い地鉄は錆色黒々とし、鍛えた鎚の痕跡が全面に残り、所々に小さな瘤状鉄骨と緩やかで色合いの黒い鉄骨が窺え、この地肌が、殊に裏面の雲龍の鱗や渦巻く雲の毛彫と同調して新たな肌模様となっている。この自然味に溢れた風合いこそ信家が求めたものであろう、微妙な凹凸と毛彫の複合になる肌合いは地文打ち込みの質感とは異なって、素朴な唐草文とも通じる初期の絵画風彫刻の魅力を支える力となっている。
文字を鐔全面に走らせる構成は信家の得意とするところ。文字彫は南無妙法蓮華経の御題目に野晒図鐔(注②)など多々みられ、信家だけでなく戦場を巡る武将の死生観と時代性をも示すもので興味深いが、本作の「忠則盡命」の文字彫は他に例がなく、特別の注文によるものであろう。通常みられる草体化した文字と異なり、隷書体で刻されている点も興味深いところである。文字の背後である地面には文様がなく鎚の痕跡のみが存在感を強めている。自然な肌合いの中に刻された文字には黒い漆が施されていたと思われ、微かにその痕跡が窺え、四百年前の信家鐔の装飾処方が遺されていることに改めて驚かされる。
裏の雲龍図は三信家に特徴的な毛彫表現(注③)。三信家には、阿弥陀鑢洲浜透図、竹虎と水車に梅花図、斧に鉈透図、十字木瓜形縦鑢図(以上『中村覚太夫信家鐔集』より)、鎌鉈透図、雲龍図、ロザリオ図(注④)(以上『刀剣金工名作集』より)などが知られ、図柄の題材も描法も作域が広いことが判る。
主題である「忠則盡命」とは、古代中国の詩の一文で、「孝當竭力」に続けて読み、「親に対しては持てる力総てを出し切ってつくし、主君に対しては命を懸けて励むべきである」ことを指す。仁、義、礼、智、信を重んずる儒教が背景にあり、下克上が当り前であった戦国時代の意識を一蹴する意味が込められている。
細字銘信家の鐔に「あららくや人をも人とおもわねば我をも人が人とおもわぬ」「一心不乱に」「生者必滅」などの文字彫があり、太字銘には「地水火風空」や「南無妙法蓮華経」はもちろん「きりむすぶたちの下こそじごくなれたんだうてうてさきはごくらく」「やけばはいうずめばつちとなるものをなにがのこりてつみとなるらん」などの死に突き進む武士の姿、人の心を捨て去らねば生き抜くことが叶わないであろう世界で苦悩する武士の存在が窺える文字彫がある。このように文字を比較すると、三信家の時代には思想が異なってきたとも考えられるのである。
この鐔が製作されたのは、太字銘信家が福島正則に従って安芸国に移った慶長頃とすれば、それ以降と考えられ、戦国時代の殺伐とした空気との決別を明示しており、わが主君に対する忠誠心を示し、大きくは戦国の覇者徳川家による世の安定を求めていることが、この四文字から読み取れるのである。
注①…『刀剣美術』四七九号福士、繁雄「刀装・刀装具初学教室」参照。
注②…重要刀装具。銀座長州屋所蔵。
注③…『刀剣金工名作集』三七図が同趣の雲龍を彫り描いた作。
注④…重要刀装具。『金工三十七景』所載。銀座長州屋旧蔵。