刀 銘 豊後守源正全
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徳川親藩の筆頭尾張藩は中京地方の守りを自認し、兵法指南役に柳生兵庫、連也斎の剣客を招いており、藩士の尚武の気風も強く武術道場が賑わいをみせた。刀槍への要求も高く、他国より優工が多数来住し、氏房、信高、政常らを筆頭に、正全などが競って鎚を振るった。豊後守正全は本名を石田善左衛門尉といい、美濃の出で名古屋城下に居住。寛文四年四月二十五日に豊後大掾を、後に豊後守を受領した、尾張を代表する刀工の一人である。 この刀は身幅広く棟の肉が僅かに削がれて総体に鎬筋張り、反り浅く中鋒に造り込まれ、截断は勿論突技にも適した精悍な姿。地鉄は小板目肌が錬れて密に詰み、細かな地景が縦横に働き、均一に付いた小粒の地沸の粒子が光を反射して淡く映り立ち、鉄色は晴れやか。尖りごころの互の目の刃文は二つ三つと連なり高く低く小気味よく変化して関孫六兼元の三本杉を想わせ、純白の小沸が付いて刃縁は締まりごころにきっぱりと冴え、焼の谷から足、葉が入り、小形の金線、細かな砂流し掛かり、刃中は細かな沸が充満して照度高く、物切れのする様相。帽子は僅かに弛み、掃き掛けごころとなって小丸に返る。茎は鷹ノ羽鑢が掛けられ、銘字が入念に刻されている。特色顕著で出来優れ、尾張刀の優質が示されている。 |
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