薙刀 銘 肥後同田貫上野介
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加藤清正は豊臣秀吉に仕え、賤ケ岳の七本槍で名を上げ、朝鮮出兵や関ケ原の戦でも勇猛果敢な荒武者ぶりを示した(注@)。同田貫上野介(どうだぬきこうづけのすけ注A)は慶長頃(注B)の肥後の刀工。又八、兵部、源左衛門ら一門の優工を統率して幅広肉厚の威力ある刀、槍、そして薙刀を鍛え上げ、清正の武功を支えた功労者である。
注@…知将石田三成との対比で語られる加藤清正だが、実は治水・築城・領国経営・交渉に長けた緻密な武将で、むしろその性格が秀吉に評価されていたとの説もある(橋昌明『武士の日本史』)因みに熊本城に遺る清正時代の石垣は先の大地震でも盤石であったという。 |
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