竜田川蒔絵刀掛

 

金梨子地塗金銀朱粉蒔絵 四本掛
高さ 一尺五寸一分(45.5cm) 横幅 一尺九寸七分(59.7cm) 奥行 六寸六分(20cm)
桐箱入


 

雁書図鐔 銘 遊洛斎赤文 行年七十六翁

 

雁書図鐔 銘 遊洛斎赤文 行年七十六翁




ちはやぶる神世も聞かず竜田川
からくれなゐに水くくるとは

 在原業平のあまりにも有名な歌である。竜田川は奈良県の生駒山地東麓を源として大和川に至る水流。今は中流域のみを指しているが、古くは大和川までも含めた紅葉の名所であった(注①)。
業平は、この歌を『古今和歌集』と『伊勢物語』に載せている。『古今和歌集』では、業平が清和天皇の女御であった高子を訪ねた際、高子が用いていた竜田川屏風を見る機会があり、これを題材に詠んだものであるとしている。即ち、業平の和歌以前にすでに竜田川が歌枕として知られていただけでなく、絵画の題材としても好まれていたと考えられる。高子の屏風にはいかなる風景として描かれていたものか不明ながら、これに触発された業平が、和歌を通して都人に知られていた竜田川への印象を一変させたのであった。
業平というと、『伊勢物語』の『芥川』が思い浮かぶ。内容は業平がモデルの失恋物語。主人公の男が天皇の女御として入内する娘に恋し、とある夜に都落ちを決行したのだが、芥川で追手に捕えられ、二人の愛は引き裂かれてしまう。この娘こそ、後に清和天皇の女御となり竜田川屏風を好んで用いていた高子であった。
高子は、竜田川屏風に秘められている自らの恋心を、和歌にして遺してほしいと業平に求めたという。成就しなかった愛ゆえに思いを焦がし続けているのか、竜田川屏風を傍らに、再び燃え上がる気持ちを抑えきれない情熱家高子の姿が浮かび上がってくる。業平にも心の奥底に秘めるものがあり、高子の気持ちに応えるため、季節を待って大和へと旅立ったのであった(注②)。
表題の刀掛は、我が国の伝統とも言うべき自然観によって真正面から対象に迫った作。四季の移り変わりを表わす楓は、多くの工芸品の装飾や芸術作品の背景とされている。和歌に詠み込まれた風景も自然への憧憬にほかならず、江戸時代には大名道具、手箱など調度品の文様として好まれ、多彩な表現と技法で描き施されたのであった。
造り込みは大振りの仕立てからなるものの安定感があり、上部の持ち手もバランス良く、表裏同形の四本掛け。描法は、黒漆に金粉を叢梨子地に塗り施して文様の背景とし、流れ下る竜田川は銀粉と金粉蒔絵、色付いた楓は金粉と朱粉の蒔絵に繊細な付描。竜田川の流水を鮮やかに染めるように、台座から支柱、掛け手、持ち手まで全面に散らし配している。金の叢梨子地は秋の野に起ち込める霧。聞こえるのは川瀬のせせらぎだけ。散りかかる楓が静かに水面を揺らし…流れてゆく。
『東下り』でも知られているように業平は東海道を下り、富岳を臨み、墨田川のさらに東国を眺め、あるいは武蔵野の荒ぶれた景色を感動に変えている。竜田川の川辺に立った業平は、この景色もまた三十一文字の言葉の中に心を揺さぶる映像として刻みつけたのであった。
高子が愛の思い出として傍らにおいた屏風は、おそらくこの刀掛のように、鮮やかに脳裏を刺激する意匠であったに違いない。

 

注①…奈良県生駒市南部から生駒郡平群町・三郷町・斑鳩町を流れ下る竜田川は、上流を生駒川を平群川と称し、大和川に合流。大和川は三郷町と大阪府の県堺辺りまで。
注②…『伊勢物語』では、業平が竜田川を訪ね、実際の景色を眺めて詠んだとしている。



阿弥陀鑢図鐔 無銘 平田彦三

 


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