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刀 銘 水府住勝村徳勝作之
文久三年二月日



Katana
Suifu ju Katsumura NORIKATSU kore wo tsukuru
Bunkyu 3 nen 2 gatsubi



常陸国 文久三年 百五十五年前
Hitachi province, Bunkyu 3 (AD1863, late Edo period), 157 years ago

刃長 二尺五寸一分 Edge length; 76.1cm
反り 六分五厘 Sori (Curvature); approx. 1.97cm
元幅 一寸四厘強 Moto-haba(Width at Ha-machi); approx. 3.16cm
先幅 七分 Saki-haba(Width at Kissaki); approx. 2.12cm
棟重ね 二分八厘
重ね 二分九厘 Kasane (Thickness); approx. 0.88cm
彫刻 表裏 棒樋丸止 Engraving: "Bo-hi, Maru-dome" on the both sides
金着二重ハバキ 白鞘入
Gold foil double Habaki / Shirasaya

昭和二十八年京都府登録
特別保存刀剣鑑定書
Tokubetsu-hozon certificate by NBTHK

 

 阿片戦争で清国が英国に敗れた衝撃的事件により、諸藩は軍制改革に着手し、尊王攘夷の総本山水戸藩では烈公斉昭の指導で城下白旗山に武器製造所を建設した。ここで中心的な役割を果たした勝村徳勝は、関山徳宗門で修業後、藩命で江戸の細川正義、固山宗次、石堂是一らに学び、後に養子とした門人正勝と共に槌を振るった。徳勝の「御刀手控帳」には「荒様請合」と注記も見え、鹿角や堅木での厳しい試刀にも耐える絶対の自信を窺わせている。
 この刀は、尊王攘夷の最高潮の文久三年に、二十七歳の正勝に助力させ精鍛した作。身幅広く両区深々として重ね極めて厚く、棒樋が深く掻かれてなお手持ち重く、腰反り高く中鋒の美しい姿。地鉄はわずかに揺れる柾目肌に小板目を交えて詰み、肌目に沿って細かな地景が働き、小粒の地沸が均一に付いて湯走りが強く働く。小丁子乱に浅い湾れを交えた刃文は、下半が激しく、次第に穏やかになり、帽子は表が浅く乱れ込み、裏が先突き上げて、表裏共に掃き掛けて小丸に返る。焼刃は小沸で明るく、刃境に湯走り掛かり、金線、砂流し断続的に掛かって無数の足が入り葉浮かび、刃中は沸匂が充満して明るく、しかも匂で澄んで堅く締まり、優れた截断能力を感じさせる。茎は錆浅く未だ白く輝き、太鑚で草書体風の銘字が強く刻されて鑚枕が立つ。強さと切れ味そして美を兼ね備え、徳勝の優質が示された一振である。

注@…関山豊正『水戸の刀匠』。関山氏は「万延元年三月の桜田事変以後の註文は、実戦的配慮から堅固なるものが要求された事と思われ、それらを証する文字が見られる」と注記している。
注A…京都賀茂神社で攘夷を祈願した孝明天皇の思いに応えるように、五月長州藩が下関を通過する外国船に砲撃する事件が勃発。攘夷運動は最高潮に達した。
注B…柾目を配するのは烈公の教えによるものという(関山氏同著)。

刀 銘 水府住勝村徳勝作之 文久三年二月日    刀 銘 水府住勝村徳勝作之 文久三年二月日刀 銘 水府住勝村徳勝作之 文久三年二月日 白鞘

 

 

刀 銘 水府住勝村徳勝作之 文久三年二月日 切先表     刀 銘 水府住勝村徳勝作之 文久三年二月日 刀身表中央刀 銘 水府住勝村徳勝作之 文久三年二月日 刀身ハバキ上表


 

刀 銘 水府住勝村徳勝作之 文久三年二月日 刀身差裏切先    刀 銘 水府住勝村徳勝作之 文久三年二月日 刀身差裏中央刀 銘 水府住勝村徳勝作之 文久三年二月日 刀身ハバキ上差裏

 

  刀 銘 水府住勝村徳勝作之 文久三年二月日 ハバキ

 

 

徳勝押形

 


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