脇差 銘 (葵紋)康継入道南蠻鐵(二代)
茶変わり塗鞘脇差拵入Cha kawari nuri saya, wakizashi koshirae
|
康継二代は初代の嫡子で名を市之亟という。初代は慶長年間に主君結城秀康の父徳川家康の御前で妙技を披露し、感服した家康から康の一字を授かり、さらに葵紋を茎に刻することを許され、江戸と越前と往還して鍛刀している。康継二代は江戸で育ち(注@)、一子相伝の南蛮鉄の熟しと鍛えの秘術を会得。寛永十七年八月には三代将軍家光の出雲日御碕神社への奉納太刀(注A)を鍛造するなど、将軍家お抱え刀工の重責を担った。 注@…元和九年以降、江戸定住を許され、神田紺屋町に住したといい、「於越前作之」との添銘入りの作は少なく、佐藤寒山博士でさえ確認したのは二振のみという(『康継大鑑』)。 |
Ginza
Choshuya All Rights Reserved