刀 銘 於東武土州藩左行秀造之
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新々刀期における名工三傑の一に数えられる左行秀は、我が国の実用の時代の掉尾を飾る刀鍛冶でもあり、その刀匠としての命運と栄枯盛衰は日本の幕末、維新の歴史そのものでもある。天保十一年二十八歳より明治三年の五十八歳までの三十年間の作刀期間以外に、彼の二十八歳までの試練と、作刀生活を終えて後に七十五歳で没するまでの辛苦は、刀鍛冶の生涯としては波乱に富んだものであるが、その刀造りにかける情熱もまた並みならぬものであった。彼が自ら語るところによれば「若年の頃僅かに志を興し、江戸にて刀工の道を策む。壮年猶諸国に廻りて是を名家に問ひ、鍛錬する事歳あり、齢己に三十有九、今其造所多く鎌倉伝に因って三枚鍛を宗とす、刃は釖を御し、地鉄は銑を御す、且つ心鉄共に皆御鉄の毅剛なるを用ゆ。…柾目鍛えの焼刃は直ほつれに砂流し地肌につれてかすりたる錵を焼くこと多し…。火加減は中火を主として沸匂互に程を得るを貴ぶ」とある。記された如く、刀の第一義を常に念頭に置き、透き通るような地肌に沸、匂が深く明るい刃を焼いたこの刀は、相州伝の名工郷を究極の理想としたことを知らしめており、彼の技の集大成とも言うべき傑作である。 注…南海太郎朝尊著『新刀銘集録』巻七に「嘉永四年八月於土佐國述之左行秀印」とある。 |
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