脇差 銘 陸奥大掾忠吉(最上大業物)
黒蝋色塗親子刻鞘脇差拵入Kuro ro-iro nuri oyako-kizami saya, wakizashi koshirae
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三代陸奥と尊称される三代肥前國忠吉は寛永十四年の生まれ。祖父である初代忠吉が創案し、父忠廣が研究を積み重ねて完成させた小糠肌とも呼ばれる肥前刀独特の地鉄に、これらを超えんとさらなる工夫を加え、特に覇気ある造り込みを自らの特色としたが、貞享三年、父に先立ちわずか五十歳で冥界へと旅立った。作刀が確認されているのは万治三年に陸奥大掾を受領して以降、没するまでの二十七年間であったが、父の協力者としての立場を忽せにしなかったことから自身銘の刻された作は比較的少なく、遺作は愛刀家垂涎の的となっている。陸奥大掾を受領した翌寛文元年に陸奥守に転任していることから、本作は一年足らずの短期間の受領銘で、忠吉を研究する上でも貴重な資料となっている。 |
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