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脇差 銘 陸奥大掾忠吉(最上大業物)



Wakizashi
Mutsu daijo TADAYOSHI (Saijo O Wazamono)



肥前国 寛文元年頃 二十五歳頃作 約三百五十九年前
Hizen no kuni TADAYOSHI (the 3rd generation) 1637 - 1686
Hizen province, around the early years of Kanbun era(AD1673, early Edo period), about 359 years ago


刃長 一尺五寸五分 Edge length; 46.9cm
反り 二分五厘 Sori (Curvature); approx. 0.76cm
元幅 一寸三厘半 Moto-haba(Width at Ha-machi); approx. 3.14cm
先幅 七分七厘半 Saki-haba(Width at Kissaki); approx. 2.35cm
棟重ね 二分
鎬重ね 二分二厘 Kasane (Thickness); approx. 0.67cm
金着一重ハバキ 白鞘付
Gold foil single Habaki / Shirasaya

黒蝋色塗親子刻鞘脇差拵入Kuro ro-iro nuri oyako-kizami saya, wakizashi koshirae
拵全長 二尺三寸八分 Whole length: approx. 72.1cm
柄長 五寸五分 Hilt length: approx. 16.7cm

『肥前刀大鑑 忠吉篇』所載
昭和十九年「藤代義雄鑑定書」
Put on "Hizento Taikan Tadayoshi hen"
certificated by Fujishiro Yoshio in 1944 (Showa 19)


昭和二十七年東京都登録
特別保存刀剣鑑定書
Tokubetsu-hozon certificate by NBTHK

 

 三代陸奥と尊称される三代肥前國忠吉は寛永十四年の生まれ。祖父である初代忠吉が創案し、父忠廣が研究を積み重ねて完成させた小糠肌とも呼ばれる肥前刀独特の地鉄に、これらを超えんとさらなる工夫を加え、特に覇気ある造り込みを自らの特色としたが、貞享三年、父に先立ちわずか五十歳で冥界へと旅立った。作刀が確認されているのは万治三年に陸奥大掾を受領して以降、没するまでの二十七年間であったが、父の協力者としての立場を忽せにしなかったことから自身銘の刻された作は比較的少なく、遺作は愛刀家垂涎の的となっている。陸奥大掾を受領した翌寛文元年に陸奥守に転任していることから、本作は一年足らずの短期間の受領銘で、忠吉を研究する上でも貴重な資料となっている。
 大小揃いの脇差とされたものであろう本作は、元先の身幅が広く区深く、鋒延びごころに横手辺りに強みの感じられる武張った姿格好。地鉄は小板目肌が詰んで小糠のような細かな地沸が付き、淡い地景が分け入る典型的肥前肌の地相。小沸に匂が複合した焼刃は、わずかに湾れを伴う広直刃で、刃境には控えめなほつれが掛かり、焼刃の帯の所々に小足が入って沸き立つ雲のような小模様の出入りがあり、その一部が断続して二重刃の様相を呈し、帽子は沸深く淡い掃き掛けを伴って先小丸に返る。
 付されている拵は、大小の刻みを繰り返した黒蝋色塗の鞘に口金を設け、龍杖図小柄を備えた頑丈な造り込み。菊花文図鐔を掛け、霊獣図目貫を蛇腹巻に仕上げた、骨太ながら洒落た風情を漂わせる作。特筆すべきは、刀身保護の目的であろう、鞘が二重構造とされている点。風格のある金具からも、大身の武家の普段差しであったことが判る。

脇差 銘 陸奥大掾忠吉    脇差 銘 陸奥大掾忠吉黒蝋色塗親子刻鞘脇差拵 刀身 脇差 銘 陸奥大掾忠吉脇差 銘 備州長舩盛光 應永廿六年二月日 白鞘

 

 

脇差 銘 陸奥大掾忠吉 切先表     脇差 銘 陸奥大掾忠吉 刀身表中央脇差 銘 陸奥大掾忠吉 刀身ハバキ上表


 

脇差 銘 陸奥大掾忠吉  刀身差裏切先    脇差 銘 陸奥大掾忠吉 刀身差裏中央脇差 銘 陸奥大掾忠吉 刀身ハバキ上差裏

 









脇差 銘 陸奥大掾忠吉 ハバキ  

 

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