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刀 銘 正宣 奥州鎮撫 川村平輝明帯之
元治元年八月日 于爰明治元辰年




Katana
MASANOBU Oshu chinbu Kawamura Taira no Teruaki kore wo Obiru
Genji gan 8 gatsubi Koko ni Meiji gan Tatsu doshi



土佐国 元治 百五十五年前
Tosa province, Genji 1 (AD1864, late Edo period), 155 years ago

刃長 二尺五寸七分四厘 Edge length; 78cm
反り 四分 Sori (Curvature); approx. 1.21cm
元幅 一寸六厘 Moto-haba(Width at Ha-machi); approx. 3.21cm
先幅 六分五厘 Saki-haba(Width at Kissaki); approx. 1.97cm
棟重ね 二分三厘
鎬重ね 二分四厘 Kasane (Thickness); approx. 0.73cm
素銅地一重ハバキ 白鞘入
Suaka single Habaki / Shirasaya
皺革包鞘打刀拵付 Shibo-gawa tsutsumi saya, uchigatana koshirae

昭和四十六年東京都登録
保存刀剣鑑定書(土佐)
Hozon certificate by NBTHK (Tosa province)

価格 800,000円(消費税込)

 幕末維新期には興味深い切付銘入りの刀(注@)がある。例えば、慶應二年二月日、吉田清三郎清則の需で打たれた備前長舩祐包の刀に「於関奥羽大物切」の銘があり、戊辰戦争での奮戦ぶりが示されている(『銀座情報』百七十二号)。表題の刀は、名工左行秀(注A)門の正宣(まさのぶ)の(注B)精鍛作で、土佐藩士川村輝明が本刀を帯びて奥州鎮撫隊に加わった事が切銘されている。板垣退助率いる土佐藩兵は東山道の要衝甲府城を制した後、奥州へ進み、棚倉城、磐城平城、三春城を接収。仙台藩が降伏すると会津へと兵を進め、激戦を展開した。川村輝明も隊の一員として異郷の地を転戦している。
二尺六寸にほど近い長寸を保つこの刀は、身幅も広くがっしりとして土佐武士好みの優れた出来。小板目鍛えの地鉄は無類に詰み、小粒の地沸が均一に付く。直刃調の刃文は小互の目、浅い湾れを交え、銀砂のような沸で刃縁が明るく、刃境には湯走りが掛かり、一部は二重刃、喰い違いごころとなり、沸匂で照度の高い刃中に小足と葉が無数に入る。帽子は乱れ込んで強く沸付き、突き上げごころに小丸に長めに返る。中程から先の鎬地と棟の稜線に十数か所の受傷があって実戦での使用は歴然。川村は柄の中程を持って間合いを測り、鋒が届くまいと思っている敵に対し、柄めいっぱい長く握り直して打ち込み、勝負を決したのであろう。その一瞬のための日々の厳しい修練が想起される。重火器が使用された明治維新でも、最後の接近戦で刀の威力が示されたことを証明している。
皺革包鞘の簡素な拵が付されている。

注@…天正元年八月日紀の備州長舩祐定の刀は「嘉永癸丑冬奉命赴相州鎮衛工削之以利戦闘」(『銀座情報』二百六十二号)の切付銘からペリーの再来航に備えた武士の決意と覚悟が明示されている。
注A…山内容堂より「今正宗」の賛辞を得た。

注B…土佐国安芸郡井の口住(安芸市)で、名を小松如意介という。行秀の最年少の門人(『左行秀と固山宗次その一類』)

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刀 銘 正宣 奥州鎮撫 川村平輝明帯之 元治元八月日 于爰明治元辰年 切先表     刀 銘 正宣 奥州鎮撫 川村平輝明帯之 元治元八月日 于爰明治元辰年 刀身表中央刀 銘 正宣 奥州鎮撫 川村平輝明帯之 元治元八月日 于爰明治元辰年 刀身ハバキ上表


 

刀 銘 正宣 奥州鎮撫 川村平輝明帯之 元治元八月日 于爰明治元辰年  刀身差裏切先    刀 銘 正宣 奥州鎮撫 川村平輝明帯之 元治元八月日 于爰明治元辰年 刀身差裏中央

刀 銘 正宣 奥州鎮撫 川村平輝明帯之 元治元八月日 于爰明治元辰年 刀身ハ中央差裏刀 銘 正宣 奥州鎮撫 川村平輝明帯之 元治元八月日 于爰明治元辰年 刀身ハバキ上裏

 

刀 銘 正宣 奥州鎮撫 川村平輝明帯之 元治元八月日 于爰明治元辰年 ハバキ  

 

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