脇差 銘 大慶直胤(花押)
腰一分刻黒石目地塗鞘脇差拵入Koshi ichibu kizami kuro ishime-ji nuri saya, wakizashi koshirae |
直胤は安永八年出羽国山形城下の鍛冶町に生まれ、名を庄司箕兵衛という。江戸の水心子正秀に学んで天賦の才能が開花し、備前と相州両伝に名品を遺した。西暦一八四〇(天保十一)年に隣国で起きた阿片戦争により国防への関心が急速に高まり、天保十二年五月には江戸徳丸ヶ原(注@)で高島秋帆の西洋炮術実演が開催されている。この直後、高島に入門したのが伊豆韮山の代官江川太郎左衛門英龍であった。直胤は江川の作刀の師であり、両者の交流は親密で、直胤が江川の洋式大炮鋳造と反射炉計画に深く関与していたことが近年明らかにされている(注A)。 注@…現板橋区の高島平から徳丸にかけての一帯。 注A…小島つとむ「伊豆韮山代官・江川太郎左衛門英龍と大慶直胤」(『刀剣美術』七〇八・七〇九号)参照。 |
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