昭和三十二年秋田県登録
特別保存刀剣鑑定書 (二代)
伊賀守金道(かねみち)家は戦国時代末期の美濃国の出身。世の動きに応じて上京し、鍛冶集団を成して天皇家の御用を勤め、十六葉の菊紋を許されている。大坂の陣では刀鍛冶を差配して百日間に千振の刀を徳川家康に納め、日本鍛冶宗匠の号を許された。金道二代は初代の子で三品勘兵衛という。父没後の寛永六年十二月十一日に家督を継承し、経験を積んだ寛永十四年九月十六日に伊賀守を受領。同族の丹波守吉道、越中守正俊、出羽大掾國路などと共に、京都の西洞院竹屋町通り下ルに屋敷を構え、日本鍛冶惣匠として鍛刀界に重きをなした京の名匠である。
この脇差は、元先の身幅が広く重ねも厚く、適度に反って中鋒の量感のある姿。小板目鍛えの地鉄は小粒の地沸が厚く付いて鉄色晴れやか。刃文は直刃調の長い焼出しから始まり、角がかった互の目に焼頭が尖りごころの刃を交え、白雪のような小沸が降り積もって刃縁明るく沸深く、焼頭辺りに繊細なほつれが掛かり、刃中には沸匂が充満して照度も高い。帽子は焼を深く残して小丸に長めに返る。茎には十六葉の菊紋と「日本鍛冶惣匠」の添銘が誇らしげに刻され、太鑚の銘字は今も鑚枕が立つ。伊賀守金道の二代目の重責を担うべく懸命に鎚を振るって打ち上げた優脇差となっている。