金無垢総金具
金蛭巻朱漆塗鞘大小拵
(太閤拵)

大 拵全長 三尺四寸三分(104cm)
鞘長 二尺六寸 柄長 七寸八分
刃長 約二尺四寸三分(73.5cm) 反り 約三分七厘
元幅 約一寸一分 茎長 約六寸九分

小 拵全長 二尺四寸(73㎝)
鞘長 一尺八寸四分 柄長 五寸七分
刃長 約一尺六寸六分(50cm) 反り 約三分
元幅 約一寸一分 茎長 約五寸

総重量 大 1,240グラム 小 880グラム

金無垢総金具金蛭巻朱漆塗鞘大小拵

金無垢総金具金蛭巻朱漆塗鞘大小拵

兼廣押形

五三桐紋図小柄(大小)笄(大)

 

平安時代の奥州藤原氏は平泉に金色堂を造営し、室町幕府三代将軍足利義満は京都北山に荘厳な金閣を建てた。豊富な金の産出がなければできないことで、我が国が『東方見聞録』で「黄金の国」と謳われたのも理由のないことではなかった。  古来、金は権力や富の象徴ながら、拵に用いる事には憚りがあったようだ。室町時代の伊勢貞久『大内問答』や伊勢貞頼『宗五大草紙』では金の刀(拵)は「御禁制」とされ、小者房と呼ばれる身分の枠外の者の所用とされていた。ところが十六世紀後半に従来の常識や秩序を打ち破る人物が現れた。織田信長亡き後の政争に打ち勝って天下人となった豊臣秀吉である。出身身分の低いこの天才は、桝や尺を統一して検地を実施し、石高で大名を管理する方法を打ち出す一方で、佐渡金山等から出た莫大な金を用いて、唯一無二の天下人を演出した。すなわち、京に新築した大名屋敷の屋根瓦から厠に至るまでを金塗とし、黄金の茶室を造って内裏で披露し人々を驚嘆させたのである。また、天皇を聚楽第に招いた際には車を引く牛の角にも金箔を施し、参集した人々にまで積み上げた金を配っている。そして文禄三年二月に開催された吉野の花見では、御供衆に金装の太刀と脇差五百腰を佩用させて観衆の度肝を抜いた(注①)のであった。
その太閤遺愛の拵が、遍く知られる金蛭巻朱漆塗鞘大小拵(重要文化財。東京国立博物館蔵)である。大刀に兼元、小刀に無銘の直江を収めたこの拵は、朱漆塗鞘に幅の異なる金の板が蛭巻とされ、鐺は金無垢磨地。黒漆塗鮫皮着の柄は金無垢山道形の頭で装われ、赤銅地容彫に金うっとり色絵の雲竜図目貫を大刀に、二匹獅子図目貫を小刀に付して黒糸巻とし、桐透の金無垢大小鐔(注②)が掛けられている。朱と漆黒に金が映える荘厳華麗な趣向は、まさしく太閤好み。同時代の豪華な拵としては前田利家の雲竜蒔絵朱漆大小拵(尾山神社蔵)、鳥居元忠の朱漆銀螺鈿花文大小拵、圧切長谷部が収められた金霰鮫青漆打刀拵(黒田家伝来)等がある。その中でも太閤の大小拵はとりわけ豪華で、桃山人の豊かで大胆な美意識を明確に伝える歴史文化資料である。
表題の大小拵は、太閤拵を範にしながらも、金無垢一作金具を用い、一段と贅を尽くして製作された絶品(注③)。朱漆塗鞘は金無垢板を丁寧に打ち延ばした幅の異なる蛭巻とされ、金無垢地鑢仕立ての口金、鐺、折金、裏瓦で装われ、大刀に装着された金無垢魚子地高彫仕立ての桐紋図の小柄、笄、脇差の同図小柄が燦然と輝いている。圧巻は花桐透の金無垢大小鐔。図柄と大きさは本歌と全く同一ながら、ほぼ倍の厚みがあり、緻密な鑚使いで耳際に波文が廻らされ、殊に桐紋は透かしが垂直に切り立って見栄えが抜群。黒漆塗鮫皮包の柄は金無垢の桐紋目貫を黒糸で巻き、金無垢山道模様に鑢仕立ての縁頭も眩い。近代の職人(注④)が心血を注いで製作した空前絶後の逸品で、太閤を驚嘆させんばかりの豪華さである。

注①…山室恭子『黄金太閤 夢を演じた天下びと』(中公新書)参照。

注②…金無垢大小鐔は太閤没後、浅野家へ、拵と刀身は溝口家に形見分けされた(東京国立博物館『打刀拵』参照)。

注③…肥前國住近江大掾藤原忠廣の大小刀が収められていたものである。

注④…故、布袋粻一師の晩年の作である。

銀座名刀ギャラリー館蔵品鑑賞ガイドは、小社が運営するギャラリーの収蔵品の中から毎月一点を選んでご紹介するコーナーです。
ここに掲出の作品は、ご希望により銀座情報ご愛読者の皆様方には直接手にとってご覧いただけます。ご希望の方はお気軽に鑑賞をお申し込み下さいませ。