昭和二十六年奈良県登録
特別保存刀剣鑑定書 (筑後)
織田信長と豊臣秀吉に仕えた田中吉政は近江国坂田郡下坂庄の出身。関ケ原の戦いでは東軍に属し、近江山中に身を潜めていた石田三成を捕縛した功で筑後国三十二万石を拝領した。吉政は召し抱えていた槍、薙刀の巧者下坂八郎左衛門(しもさかはちろうざえもん)と共に筑後へ下り、吉政に仕えた筑後の武士樋口越前守実長の為に「九州筑後ニテ下坂八郎左衛門作 慶長八年八月吉日 樋口越前守指料」と銘した薙刀(注)を打ち、吉政の鎮西統治を支えている。
この平三角槍は、鎬筋が屹然と立ち、打樋が掻かれ、塩首太くがっちりとし、ふくらが張った健全体配。地鉄は柾目主調の小板目肌詰み、厚く付いた小粒の地沸が肌目に沿って光を強く反射し、弾力味のある肌合いとなる。浅い湾れに互の目を交えた刃文は小沸が厚く付いて刃縁明るく、刃境に湯走り、ほつれが掛かり、匂で水色に澄んだ刃中に沸足が射す。帽子は焼深く残し、乱れ込み掃き掛けて返る。細かな鑚鋤鑢が掛けられた茎は保存優れ、手慣れた鑚使いで刻された銘字も鮮明。戦国武将が恃みとした槍の実情を物語る出来優れた一筋である。 柄に鍵金具の付された、朱螺子巻鞘の皆朱槍拵が附帯している。注…下坂孫次郎作の槍で「慶長拾六年 伏見三年在番之時 長坂茶利九郎ウタスル也」との添銘のある作がある。血鑓九郎の槍である。「下坂」の銘形、「孫次郎」と名のみ記されている点、さらに年紀の「慶」の字が草書である点等、この樋口越前守所持の下坂八郎左衛門尉の薙刀のそれと酷似、恐らく同族であろう。血鑓九郎とは清康・広忠・家康三代にわたり松平家に仕えた猛将長坂信政で、奮戦のあまり槍の柄は血で染まり血鑓(茶利)九郎の異名を取った。