昭和三十三年東京都登録
特別保存刀剣鑑定書
嘉吉元年六月、播磨、美作、備前の守護赤松満祐が将軍足利義教を自邸に招いて謀殺した。嘉吉の乱である。その後満祐は山名持豊に滅ぼされ、領国は山名氏の支配となったが、赤松の旧臣は山名氏の台頭を嫌う細川氏の支援を得、四歳の政則を当主として家を再興。京都で応仁の乱の戦端が開かれるや、これを合図に備前、美作、播磨に侵攻して山名勢を一掃し、旧領を奪回している。
注①…現在の法律では脇差に分類されるが、当時は手頃な寸法の刀として重宝されていた。
表題の盛重の脇差は応仁改元直前の作(注②)。寸法が延びた中鋒の室町時代を遡る特徴的な姿で、適度に反って素早い抜き打ちと片手での操作に適した構造(注①)。地鉄は小板目に小杢目を交えて詰み、小粒の地沸が均一に付いて肌が潤い、焼刃に迫るように乱れ映りが鮮明に立つ。刃文は腰開き互の目に小丁子、角がかった刃、地に突き入る刃を交えて複式に変化し、物打辺りには淡い飛焼を配し、乱れ込んだ帽子はわずかに掃き掛けて小丸に浅く返る。焼刃は小沸が柔らかく付いて匂口明るく、細かな金線、砂流しが掛かり、足と葉が盛んに働き、刃中には匂が立ち込めて霞立つように澄む。焼頭から映りに煙り込むような働きも顕著で、応永備前物にも通じる地刃の温潤味が感じられる。茎には銘が太鑚で淡々と刻され裏年紀も貴重。大乱勃発前夜という緊迫した状況下での作ながら出来優れ、備前刀の美点が発揮された優品となっている。