昭和二十六年新潟県登録(令和元年再交付)
特別保存刀剣鑑定書 (二代)
肥前國忠吉の嫡子忠廣は並みならぬ感性に加え、忠吉家の未来を背負う立場として幼い頃から修業を積んで技量優れ、早くから高い評価を得ていた。父の晩年は代作代銘を勤め、その没後は家督を継いで十九歳で棟梁となり、寛永十八年に近江大掾を受領している。肥前刀を幕閣や親しい大名への贈品とした藩主鍋島侯の需に応えて鎚を振るい、優品の数々を打った忠廣は、肥前刀を名刀の代名詞に押し上げた最大の功労者である。
この脇差は、相州上工、就中、志津三郎兼氏を範に精鍛されたと鑑せられる二十歳頃の一口。身幅広く先幅も広く、中鋒延び、鑚が効いて彫口の深い表の二筋樋と裏の棒樋が姿に力を与えている。小板目鍛えの地鉄は僅かに肌目起ち、小粒の地沸が厚く付き、地底に地景が躍動して強靭さが窺える。刃文は互の目に丁子、尖りごころの刃を交えて奔放に変化し、銀砂のような小沸で刃縁明るく、湯走り、飛焼が激しく掛かって処々二重刃となり、金線、砂流し、沸足が太く入り、刃中も沸付いて明るい。帽子は焼深く強く沸付いて激しく乱れ込み、突き上げごころとなって小丸に返る。保存状態が優れた茎の、太鑚大振りの五字銘(注)は、寛永十年二月吉日紀の刀(藤代版『名刀図鑑』第七集所載)に酷似している。華麗な作風で、初々しくも覇気に満ちた、青年期近江大掾忠廣の傑作である。
拵は牡丹唐草図鐔、九曜紋、桜花文散図小柄、霞模様図縁頭で装われて瀟洒ながら、鞘口の近くに栗形が付されて実戦への備えも万全である。