脇差
銘 肥前國遠江守藤原兼廣
江戸時代、力士は帯刀を許されていた。東京両国の相撲博物館には『江戸大相撲生写之図』があり、刀を差した力士たちの姿が描かれている。力士の差料の実例としては、薩摩藩工の奥大和守元平が筑後出身の力士熊戸山のために精鍛した寛政五丑春紀の刀(『銀座情報』二七四号)、嘉永三年八月日紀の固山備前介宗次の稲妻雷五郎との合作刀(第十四回重要刀剣)が知られている。だが今日、刀身と拵共に現存する遺作は極めて少ない。
表題の金変り塗鞘拵入の脇差は肥前忠吉一門の遠江守兼廣の(注①)作で、尋常ならざる構造と重量の力士所用の貴重な一振。大迫力の姿ながら腰元から強く反って姿が引き締まる兼廣の苦心の作。小板目鍛えの地鉄は地沸が厚く精美で、肥前らしい小糠肌。互の目丁子の刃文は高低に変化し、丁子の一部が千切れて玉状の焼となり、奔放華麗。帽子は激しく乱れ込み、突き上げて長く焼き下げる。肉厚の茎は横鑢が細かに掛けられて切銘も入念。
拵は厚手の柄木を緑色糸で片手巻とし、堅牢な鉄製の縁頭が付され、唐辛子図の長目貫がぴりりと効いて何やら意味ありげ。鐔は耳に魚子を撒いた厚手の銀無垢で鐔止めの小穴(注②)を設け、切羽の縁には渦巻文がびっしりと刻されている。一二六〇グラムの刀身を入れた拵の総重量(注③)は二三〇〇グラムに及び、力士の怪力振りが偲ばれる。三階菱紋から豊前小倉藩小笠原家に抱えられた力士の所持とみられ、観衆の大声援を背に、巨体を揺らしながら闊歩する雄姿を髣髴とさせる優品である。
注①…忠吉の作刀協力者廣貞‐國廣‐大和大掾兼廣‐遠江守兼廣と続く。遠江守兼廣は寛永二十年生まれ。元禄十二年、正徳五年、享保三年、五年、八年紀の作がある。
注②…二個の小穴に紙縒りを通して栗形に結び、鞘走るのを防いだのであろう。
注③…これに今はない大小柄が加わる。
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