平成元年東京都登録
特別保存刀剣鑑定書
石州浜田(注①)の住人國義は日向国飫肥の生まれにて、姓名を鈴木作之丞という。同郷の和泉守國貞を頼って大坂に上り、その門下となって修業し、寛永、正保年間には師の代作(注②)を任せられる程に腕を上げた隠れた名工である。慶安二年末から三年初め頃に独立して師の許を離れ、石見国浜田に移住、承応二年頃には匠名を國吉と改め、姓も鈴木から長友に変えている。晩年、生国に帰ると伝え、その子二代伴之丞國義は師の嫡子井上真改の弟子となっている。
慶安三年十二月(注③)の年紀を刻する表題の短刀は、堀川派の平安城弘幸等に作例のある重ねが極めて厚い造り込み。小板目鍛えの地鉄は師の國貞に似て地沸強く湧き立って地景が網状に充満する。刃文は長い焼き出しから始まる小湾れ主調の互の目乱刃。刃境に明るい小沸が深々と付いて刃中も明るく、金線、砂流しが小形に働いて地刃に深みがある。寡黙を通したこの工の、有名作家に比肩する実力の程を無言で示す、内容密度の高い一口となっている。具眼の数寄者にはたまらない小品であろう。