笹竹に鳥透図鐔

銘 羽州庄内住安親作

江戸時代中期
出羽国‐武蔵国江戸
鉄地丸形肉彫地透
縦70.3mm 横69mm 切羽台厚さ6mm

笹竹に鳥透図鐔 銘 羽州庄内住安親作

笹竹に鳥透図鐔 銘 羽州庄内住安親作

これまでに月刊『銀座情報』で紹介した土屋安親の作品を列挙すると、近江八景、李白観瀑、木賊刈、蟻通し宮、牛曳、正月盆飾、浜松千鳥、雪持笹に文字、盾に花唐草文、月見舟、帰雁苫舟、雨雁、芦雁、蟹に貝、藻出の鯉、親子虎、親子猪、金剛王文字、扇面散と図柄題材が多岐に亘っており、安親研究の書物を見ても、装剣小道具として伝統的な霊獣、動植物など自然界の営み、和漢の古典に題を求めたもの、山水風景、意匠化した文字等々があり、探求心の広さと深さ、作品化するエネルギーに改めて驚かされる。これら多くの画題追求の衝動はどこにあったのであろう。
 安親は出羽国鶴岡酒井家に仕えた土屋忠左衛門の子で寛文十年の生まれ。長じて酒井家の家老松平内膳の次席用人を勤めたが、その傍らで正阿弥珍久に入門し、弥五八の工銘で金工を学んでいる。  安親が最初に接したのは正阿弥派の技術であった。ところが安親の師である珍久は、江戸に上り、風景においても人物描写においても独特の風情ある作風で人気を得ていた奈良派の技術をも学んできたのである。安親は、師が携えてきた新たな技術や作風に触れ、あるいはまた、江戸の様子をも聞くことによって心を騒がせたに違いない。
 この頃、元禄期の江戸では歌舞伎や浄瑠璃などの芝居が流行し、文学では井原西鶴、松尾芭蕉、近松門左衛門などが、絵画や工芸では琳派の尾形光琳、美人画の菱川師宣、野々村仁清などが活躍しており、その噂は、遠く出羽庄内にも届いていた。鶴岡にほど近い酒田の港は北前船によって栄え、莫大な資産を蓄えた多くの回船問屋が軒を連ねており、多彩な交易品等と共に目を見張る様々な芸術作品を取り寄せていた。安親にもそれら江戸伝来の名品を垣間見る機会があったであろう。もちろん天が授けた鋭い感性を備えてのものだが、安親の美意識を刺激したのはこの環境であった。
 次席用人の職を辞し、師の娘を娶って子をなしたものの、齢を重ねるに連れ、このまま庄内で一職人として終わってしまうのだろうか、江戸にはまだ見ぬ何かがある、多くの事物を知りたい、感じ取りたいという、江戸に対する想いが高まるのは当然のこと。そしてついに意を決し、妻子を師の許に預けたまま江戸へと旅立つのである。
 庄内在住の時代に製作した在銘作品が、ごくわずかながら遺されている。その一つが「庄内弥五八」の銘がある雨に黄金虫図鐔で、地面に変化をつけた鉄地に雨を金象嵌、笹葉と黄金虫を陰に透かした、奈良流の意匠からなる庄内風の作。もう一つが「羽州庄内住安親作」と刻銘された蟻図の縁。赤銅地に蟻の大きさをそのままに高彫としたもので、細い手足で今にも動き出しそうな精密な出来。そしてこの鐔。鍛え強い鉄地で笹竹の輪を構成し、一羽の鳥が翼を休めている図柄である。
 いずれも自然界に生きる小生物を題に得たものだが、製作技法はこの三例だけでも全く異なっている。鉄地に風情のある陰透、赤銅地に高彫色絵、そしてこの鐔の切り込んだような彫口からなる鉄地肉彫地透の手法。後者二例は出府間近の作であろう。これら遺作の存在から、庄内時代に既に多様な技法を会得し、さらに工夫し、それを用いた新たな題材を模索していたことが判るのである。
 特に表題の鐔は正阿弥風ではなく、尾張や金山風でもなく、肥後風でもない、同時代では類型を探し出し得ない特殊な造り込み。鉄地は折り返し鍛錬を施したもので、透かしの内側や耳に幾重にも層状の鍛え肌が現れている。表裏の笹葉の表面にも葉脈のように鍛え肌が綺麗に現れており、その様子から意図して肌を際立たせたことが想像されよう。異様なほどに深彫りされた笹葉だが空間に違和感がなく、とぼけた表情の鳥があることによって自然の息吹が感じ取れるのが安親らしい。
綿密な計算、下地からの鍛造、的確な構成、そして鋭く起つ透しの切り口。作品から窺いとれる作者の心情、即ち人間味とは別に、新たな創作、創造への意気込みが一枚の鐔から立ち上がっているようで、それもまた鑑賞者を感動へと導く。創造することへの想いを募らせている安親の、あるいは出府を前にした安親の、江戸への憧れが充満した作品であり、庄内時代の在銘作として資料価値の高い一枚である(注)。  

注…近年まで地元庄内の素封家に秘蔵されていたものである。

笹竹に鳥透図鐔 銘 羽州庄内住安親作

 

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