平造脇差
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宇多國久は國房の子で名を右衛門三郎といい、応永七年(注@)、廿一年、廿六年の年紀作がある。宇多派は鎌倉末期に大和国宇陀から越中国に来住した國光を祖とし、國房、國宗などの優工を輩出した。越中国は日本海沿岸の要衝で、細川氏、斯波氏など室町幕府の管領を勤めた重臣が守護を拝命し、応永以降は畠山氏の領国となった。國久など宇多派の刀工は、畠山家中の武士の需に応え、切れ味の優れた刀槍を鍛えていたのであった。 注@…応永七十二月日紀の短刀を含む短刀四口、太刀一口、脇差一口、槍一筋が重要刀剣に指定である。 |
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