脇差
銘 (葵紋)康継於越前作之
寛文八年十一月日
(越前三代)


Wakizashi
(Aoi mon) YASUTSUGU Echizen ni oite kore wo tsukuru
Kanbun 8 nen 11 gatsubi
(Echizen, the 3rd generation)



越前国 寛文八年 三百五十一年前
Echizen province, Kanbun 8 (AD1668, early Edo period), 351 years ago

刃長 一尺六寸五分 Edge length; 50cm
反り 三分三厘 Sori (Curvature); approx.1cm
元幅 一寸一分一厘 Moto-haba(Width at Ha-machi); approx. 3.36cm
先幅 八分 Saki-haba (Width at Kissaki); approx. 2.43cm
棟重ね 二分一厘
鎬重ね 二分三厘 Kasane (Thickness); approx. 0.7cm
彫刻 表裏 棒樋丸止 Engraving: "Bo-hi, maru-dome" on the both sides
上蓋金着下蓋赤銅二重ハバキ 白鞘入
Gold foil and Shakudo double Habaki / Shirasaya

昭和二十六年広島県登録
特別保存刀剣鑑定書(越前三代)
Tokubetsu-hozon
certificate by NBTHK (Echizen 3 dai)

 

 越前福井藩は家康の子結城秀康に始まる。家風は尚武の気が強く、大坂夏の陣では先駆を為し、真田幸村を討ち取っている。この越前武士の刀槍を鍛えた刀工の筆頭が康継。家康との所縁(注@)で幕府御用をも勤めた同家は、正保三年に二代康悦が嫡子市之丞を遺して急逝。若い甥を援けて御用を勤めたのが初代の三男市左衛門に他ならない。後に市之丞が江戸三代として自立する一方で、市左衛門は福井城下の屋敷と家禄を継承した。越前三代である。
寛文八年に製作されたこの脇差は、越前三代康継の殊に優れた作。身幅が特に広く先幅も応じて広く、鎬が張って平肉付き、バランス良く反り、中鋒やや延びた量感のある姿で、棒樋が掻かれて操作性への配慮が為されている。板目鍛えの地鉄は杢を交えて強く肌起ち、黒味を帯びた中に地景が躍動し、厚く付いた沸が輝き、靭性のある肌合いとなる。中直刃調の刃文は小湾れに連れた互の目を交え、明るい匂に小沸の付いた刃縁は締まって一段と輝きが強く、刃中には沸の粒子が零れ込み、刃境に湯走り掛かり、一部食い違い、細かな金線、砂流しが盛んに掛かって初代を髣髴(注A)とさせ、堅物を切る威力に満ちている。帽子は表が僅かに弛み、裏は掃き掛けて二重刃ごころに小丸に浅く返る。茎に刻された銘字は康の第三画の鑚当たり等、細かな鑚使いも父初代に近似(注B)し、家康御取立の由緒を物語る葵紋が誇らしげに刻されている。頑健で刃味鋭い、越前武士好みの一振である。

注@…家康の御前で打ち、葵紋と康の一字を拝領した旨を伝える熱田神宮蔵の脇差がある。
注A…藤代版『日本刀工辞典新刀篇』に「作風初貮代に似る」とある。
注B…継の字の糸偏に越前三代の銘の見所がある。

脇差 銘 (葵紋)康継於越前作之 寛文八年十一月日(越前三代)脇差 銘 (葵紋)康継於越前作之 寛文八年十一月日(越前三代)脇差 銘 (葵紋)康継於越前作之 寛文八年十一月日(越前三代) 白鞘

脇差 銘 (葵紋)康継於越前作之 寛文八年十一月日(越前三代) 切先表脇差 銘 (葵紋)康継於越前作之 寛文八年十一月日(越前三代) 刀身中央表脇差 銘 (葵紋)康継於越前作之 寛文八年十一月日(越前三代) 刀身ハバキ上表


脇差 銘 (葵紋)康継於越前作之 寛文八年十一月日(越前三代) 切先裏脇差 銘 (葵紋)康継於越前作之 寛文八年十一月日(越前三代) 中央裏脇差 銘 (葵紋)康継於越前作之 寛文八年十一月日(越前三代) 刀身ハバキ上差裏

  脇差 銘 (葵紋)康継於越前作之 寛文八年十一月日(越前三代) ハバキ

 

康継押形
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