羅漢図鐔
銘 山城國伏見住金家

桃山時代 山城国伏見
鉄地竪丸形高彫象嵌
縦 74.6mm 横 71mm 切羽台厚さ 2.5㎜

 

羅漢図鐔 銘 山城國伏見住金家

羅漢図鐔 銘 山城國伏見住金家



 

釈迦の教えを学んだ羅漢は、民衆から信仰というより敬愛の対象とされ、十六羅漢、五百羅漢などの石像や彫刻として各地に遺されている。羅漢とは、修行によって悟りを得、民衆から尊敬され供養を受ける立場にまで上り詰めた聖者のこと。釈迦の生存中だけでなく時代が降ってもなお、釈迦と同じ境地に立つことを望んで修行に励み、さらに釈迦の教えを深く学んだ者達がこのように呼ばれたという。
ところが、煩悩を捨て去り悟りの境地に至るという修行に重きを置くこの考えは、自らの意識から解放されることのない行者個人の世界観であることから、民衆に広く手を差し伸べる菩薩などとは一線を画され、羅漢はついに行者から一歩階段を上ることができなかった。それが故、仏のような遥か遠い観念的存在ではなく、むしろ人間に近いところで親しまれてきたのであった。
羅漢は人間臭い顔つきをし、あるいは行動をしているように表現される。例えば、埼玉県川越市の喜多院には、笑ったり泣いたり、欠伸をしたり、酒を飲んでいたりと多彩な五百羅漢像がある。また、法隆寺の釈迦涅槃像に伴う十六羅漢は、師との死別を悲しんで泣き叫ぶ姿を彫り描いたものであるが、興味深いのは、横たわる釈迦の背後に釈迦の高弟と思われる僧が端座している様子である点。羅漢は修行によって悟りを得たとはいえ周りを気にすることなく苦悩の表情を示して泣き叫んでいるが、高弟達は、釈迦に近い意識に到達していたものであろう、表情を変えることなく自然体のままで師の死を見つめているのである。死はいずれ誰もが身をゆだねる世界。生きることへの煩悩を捨て去れば自ずと到達できる観念世界であることから、これを悲しんで泣く羅漢達は未だ修行僧であるということであろうか。
羅漢を尊ぶ意識が我が国で広まったのは、禅の教えに同調している。そもそもインドに生まれて分化し、中国を経て我が国に到来したことから、古代中国で発達した神仙の思想や禅などを取り込んでいると思われる。
例えば東京国立博物館収蔵の十六羅漢図には、龍と対話しているような羅漢があり、また虎を手なずけている羅漢がある。他にも視野を広げると、魚の背に乗って河を渡る羅漢、気を吐き出す羅漢など、釈迦の教えに通じるのであろうかと思われる羅漢像が多々見られるのである。いずれも装剣小道具に見られる仙人を想わせる図で、中国の古代思想が影響していることが判る。
それはそのまま我が国の禅にも通じている。禅の教えを盛んに取り入れた鎌倉時代以降、禅は学ぶことではなく実際に行うことであるとし、武士もまた自然体を求めて行を積み、神仙の行者と同様に自由な意識への到達を試みたのである。
即ち、鎌倉武士が手本としたのは観念世界の崇高な聖者ではなく、山に分け入れば岩上で瞑想に耽っていそうな、あるいは物乞いに見間違えそうな人間味のある行者、羅漢そのものであった。
これまで、禅に深く通じていることが証される幾つかの金家の作品を紹介してきた。何気ない風景図であっても、その背後に深い意味が隠されていることがある。ところがこの鐔は、むしろ直接的に精神世界を求める図としている。
鍛え強い鋼を薄手の竪丸形に仕立て、耳を打ち返して空間を切り取り、地鉄は鍛えた鎚の痕跡が明瞭で、修行僧の闊歩する荒野を想わせる肌合い。羅漢の身体は同じ鉄を用いた共鉄象嵌、眼窩が窪んで厳しい表情を示す顔と仏舎利は銀の高彫象嵌、要所に金の点象嵌を加えている。裏面は金家に間々みられる京近郊と思しき山水風景図で、釣り人もまた共鉄象嵌。波は毛彫。ゆったりと連なる山並みは、その端が穏やかに霞み込んでおり、これも金家の特徴である。
羅漢の目線は、自らが前にささげている仏舎利を通して遥か遠くに結ばれているようだ。数十年の長きに亘って修行を重ねてもなお、師と仰ぐ釈迦は見えてこない。民衆から羅漢と呼ばれて敬愛されてはいても、釈迦と同じ観念世界には永遠に到達できないのではないだろうか、と苦悩する表情が窺いとれるのである。
金家の確かな教養と作品への視点はここにある。釈迦に学んで釈迦の足元に到達した十人の高弟ではなく、ついに釈迦には到達し得なかった修行僧としての羅漢を描いているのである。
金家もまた一枚の鐔を製作するに当たり、画題に対する多くの知識を吸収した。鏨を駆使するという技術面のみならず、作品世界への没入という意味で苦悩し、神経をすり減らしたことであろう。鐔の図柄となる禅に通じた人物を探ることが禅ではない。作品に向かうことそのものが修行であると知る金家は、このとき苦行する羅漢と化していた。全国各地を行脚して無数の仏像を遺した円空や木喰のように。

即ち、金家は無心になって鐔を製作することにより、釈迦との対話を試みていたのではないだろうか。特にこの鐔は、自らを羅漢に擬え、仏舎利をささげて釈迦に対する畏敬の念を示していると思われる、金家の生涯一枚の図である。

水辺白鷺図鐔 銘 後藤法眼一乗(花押)



  

 


 銀座名刀ギャラリー館蔵品鑑賞ガイドは、小社が運営するギャラリーの収蔵品の中から毎月一点を選んでご紹介するコーナーです。ここに掲出の作品は、ご希望により銀座情報ご愛読者の皆様方には直接手にとってご覧いただけます。ご希望の方はお気軽に鑑賞をお申し込み下さいませ。

©Copyright Ginza Choshuya

銀座長州屋ウェブサイトトップページ