平造脇差
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文政二年に十五歳で江戸の荘司大慶直胤に入門(注@)した直勝は、後に娘婿となって荘司次郎太郎直勝と名乗り、師直胤と同じく上野国館林藩秋元家に仕えている。直勝も技量が頗る優れ、備前長光、兼光に倣った刀や、板目肌に沸深い乱刃出来相州伝の刀(注A)を遺しているように備前、相州両伝を能くし、師の直胤や細川正義に比肩する名手として江戸後期の刀界に強い光彩を放っている(注B)。 注@…文化二年上総国山辺郡台方村花輪(東金市)の生まれで本名伊藤正勝。少年期、占師に「金物を取扱う業につけば、将来の成功間違いなし」と言われたという(『東金市史』)。 |
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