銘 應柳正盈需 於東都
固山宗次作之
弘化二年二月日

Katana
Yanagi Masamitsu no motome ni kotae Toto ni oite Koyama MUNETSUGU kore wo tsukuru
Koka 2 nen 2 gatsubi



武蔵国 弘化二年 四十三歳作 百七十四年前
Musashi province, Koka 2 (AD1845 late Edo period) 174 years ago

刃長 二尺五寸一分半 Edge length; 76.3cm
反り七分三厘 Sori (Curvature) approx.2.21cm
元幅 一寸一厘 Moto-haba(Width at Ha-machi); approx. 3.06cm
先幅 七分三厘 Saki-haba (Width at Kissaki); approx. 2.21cm
棟重ね 二分三厘半
棟重ね 二分七厘 Kasane (Thickness); approx. 0.82cm
金着二重ハバキ 白鞘入
Gold foil double Habaki / Shirasaya

黒蝋色塗鞘打刀拵入 Kuro ro-iro nuri saya, uchigatana koshirae
拵全長 三尺五寸一分 Whole length: approx.106.4cm
柄長 八寸一分 Hilt length: approx.24.6cm

昭和六十三年東京都登録
特別保存刀剣鑑定書
Tokubetsu-hozon certificate by NBTHK

 固山宗次は享和三年奥州白河の生まれ。天保初年頃に江戸に出て米沢藩工加藤綱英、綱俊(注@)兄弟の門を叩いて修業。後に犬山城主成瀬家の家臣で試刀家として名高い伊賀乗重に刃味利鈍を学んで精進(注A)。鎌倉期の一文字あるいは景光、兼光、さらには室町期の盛光、与三左衛門尉祐定などを至上の刀と仰ぎ、その鍛法とはとり焼き入れ法を探求し、自らの鋼と調和させて独自の様式を確立した、江戸後期の備前伝の第一人者である。
 この刀は、一文字に範をとって成功例の多い同作中でも抜群に優れた作。元先のバランスが優れ、鋒延びて先端鋭く、大きく反って覇気に満ちた姿。緻密に詰んだ瑞々しい小板目鍛えの地鉄は、微細な地沸でしっとりと潤い、繊細な板目肌が所々に現れた極上質の出来。水際冴えて起伏の激しい互の目に丁子主調の刃文は、焼頭に小模様の丁子が焼かれて拳状、矢筈状、尖りごころの刃の複合となる。匂口の締まった焼刃は生気に溢れて地より一段と白く浮き上がり、刃中には清純無垢な匂が敷き詰められてここも水色に輝き、互の目の谷間から広がった匂足も明るく、所々飛足、葉が加わって華麗さが際立つ。総体に溌剌さを湛えた、注文打の最高傑作である。
東龍斎派の蓮斎壽一の山水図鐔を掛け、細野政守の山水図縁頭と這龍図金無垢目貫を立鼓柄に堅く巻き込んだ柄の、奇麗な黒蝋色塗鞘の打刀拵が附されている。

注@…切れ味の優れた刀を遺しており、宗次にその技術を伝えている。
注A…宗次には、腰骨辺りを截断した例、あるいは肩骨辺りを截断した例があり、新々刀期において最高の切れ味を誇った刀工である。

刀 銘 應柳正盈需 於東都固山宗次作之 弘化二年二月日刀 銘 應柳正盈需 於東都固山宗次作之 弘化二年二月日黒蝋色塗鞘打刀拵 刀身 刀 銘 應柳正盈需 於東都固山宗次作之 弘化二年二月日刀 銘 應柳正盈需 於東都固山宗次作之 弘化二年二月日 白鞘

刀 銘 應柳正盈需 於東都固山宗次作之 弘化二年二月日 切先表刀 銘 應柳正盈需 於東都固山宗次作之 弘化二年二月日 刀身中央表

刀 銘 應柳正盈需 於東都固山宗次作之 弘化二年二月日 刀身中央表刀 銘 應柳正盈需 於東都固山宗次作之 弘化二年二月日 刀身ハバキ上表


刀 銘 應柳正盈需 於東都固山宗次作之 弘化二年二月日 切先裏刀 銘 應柳正盈需 於東都固山宗次作之 弘化二年二月日 中央裏

刀 銘 應柳正盈需 於東都固山宗次作之 弘化二年二月日 刀身中央差裏刀 銘 應柳正盈需 於東都固山宗次作之 弘化二年二月日 刀身ハバキ上差裏

 


  刀 銘 應柳正盈需 於東都固山宗次作之 弘化二年二月日 ハバキ

 

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