蟻通し宮図鐔
銘 安親

江戸中期 出羽国庄内-武蔵国江戸
鉄地八角形高彫象嵌陰透打返耳
縦 91mm 横 91mm 切羽台厚さ 5㎜

 

蟻通し宮図鐔 銘 安親

蟻通し宮図鐔 銘 安親



 紀貫之は、延喜五年に醍醐天皇の命で勅撰和歌集『古今和歌集』を編み、さらにその仮名序(仮名による序文)を執筆した、我が国を代表する歌人である。また、土佐守の任地からの帰路の見聞を題材に、女性の目を借りて描写した『土佐日記』を著した高い創造力を持つ作家で、これにより、後の女流文学や随筆に多大な影響を与えたことも欠かすことができない事歴である。
貫之が歌聖と評された理由は、多くの和歌を遺しているだけでなく、作歌において細部にわたって推敲を重ねるなど、時には二十日にも及ぶほどに時間をかけて作品化したことによる。もちろん優れた感性を備えていたことが背景にあるのだが、丁寧な作業を飽くことなく進める、人柄の良さも浮かび上がってくる。
そのため、貫之が詠んだ和歌が神秘的な力を示した、あるいは歌によって幸運が訪れたという噂が広まり、右大臣藤原師輔が父忠平から借りた魚袋を返却する際、これに添える和歌を貫之に作らせたなどの逸話までも生み出されている。今回紹介する土屋安親の鐔に描かれている蟻通宮の伝承も貫之の歌徳を明示するもので、後に世阿弥が謡曲として完成させている。
 貫之が、歌枕にも数えられている紀伊国和歌浦にある玉津島神社を訪ねるため、和泉国辺りを下っていた時のことであった。夕焼けが未だ空遠くに残っているにもかかわらず、突如として空が曇りだし、風雨が襲ってきた。自らが乗る馬は崩れるように伏し、今にも死にそうに息も絶え絶えの態。貫之は何事が起きたかと辺りを探ると、目の前に神社の杜と思しき暗闇が広がっている。

うろたえる貫之の前にどこからともなく一人の宮守が燈明を手に現れると、明かりを翳しながら、ここには社殿などないが蟻通明神の神前であり、馬から降りずに通り過ぎようとしたために神の怒りに触れたのだと言う。貫之は自らの行為を恥じて名乗ると、和歌に通じた者であれば、蟻通明神を慰めるための歌を奉納できよう。その神威によって道が開けようとも言う。
そこで貫之は辺りの様子を窺い、天上へと目を移し、自らが置かれている状況を想い、言葉を弄することなく素直な心で口を突いて出るままに「かき曇りあやめも知らぬ大空にありとほしをば思ふべしやは(注①)」と詠みかけた。するとみるみるうちに天を覆っていた雲が流れ去り、夜空には星が瞬きはじめた。星明かりに照らし出されたのは黒々とした樹叢と鳥居。これが蟻通明神の杜かと改めて手を合わせた貫之は、その脇ですっくと起き上がった馬に気付き、蟻通明神の神威を感じざるを得なかった。
宮守は、貫之の歌に徳があればこそ神に願いが通じたものであると言い残し、杜の奥へと歩んで行き、樹叢に姿を消してしまった。貫之は、この宮守こそ蟻通明神の化身であったと気付くのであった。
土屋安親は、伝説としても文学としてもあまりにも有名なこの場面を題に得、蟻通明神の鎮座する杜と、その社前に聳える鳥居に燈明を翳す宮守の姿を彫り描いている。武骨で個性の強い大学形と呼ばれる鐔や縁頭を製作した松平頼貞お抱えの時代を経た安親は、その数年間に蓄積した新たな作品への着想と創造することへの念を胸に抱き、再び神田に工房を構えた。頼貞に仕えたことによって知名度が格段に上がり、製作の依頼も増えたことであろう。壮年時代と区分されるこの頃、安親は本作の他、親子猪、竹林に鶏、虎渓三笑、芦雁、雨龍、鯉魚、月に兎、木賊刈、群千鳥図などの鐔を製作しているように(注②)、題材を和漢の古典から鄙びた野の風景、風景の文様化など多彩な分野に求め、新たな表現世界の可能性を突き詰めている。
さてこの鐔は、壮年時代における最高傑作と言い得る、安親の感性と技術が濃縮された作品。質の良い鋼を合わせ鍛えたものであろう、耳に層状の鍛え肌が現れた地鉄は色合い黒く、穏やかな丸みを持たせた八角形の耳を打ち返して画面を切り出している。鍛えた鎚の痕跡が明瞭に残る肌は渋い光沢があり、辺りを包む雨雲だけでなく、闇の中に立ち尽くす貫之の心の騒ぐ様子を暗示している。斜めに打ち付ける雨は切り裂くような毛彫で表し、風に揺れる杉の樹叢は量感豊かに、あるいは遠近感を持たせた高彫表現ながら闇に溶け込むような描写で、その奥から木々の触れ合うざわつきが聞こえてくるようだ。透かしによって表された鳥居は笠木が上方に強く反り返っており、貫之が見上げるその視覚と、驚きを映し出している。社の奥へと歩み行く宮守は闇に溶け込むような陰影からなる高彫表現。即ち、主人公であるはずの貫之を描かず(注③)、図のすべてが、神威に驚きを隠せぬ貫之の目を通した光景とされている点が一層興味を深める。本作は、貫之の目を借りた代理体験を試みているのである。

注①…謡曲『蟻通』では「雨雲の立ち重なれる夜半なれば蟻通とも思うべきかは」と詠まれている。
注②…『銀座情報』三八九号、三九二号など参照。注③…安親に影響を与えたと考えられる英一蝶には、鳥居、宮守、貫之を各々別に描いた三幅対がある。


水辺白鷺図鐔 銘 後藤法眼一乗(花押)



  

 


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