脇差
黒漆塗唐草文陰蒔絵鞘脇差拵入 Kuro urushi nuri karakusa mon kagemakie saya, wakizashi koshirae
|
初代山城守國清は信濃国松代の出身。堀川國廣に学び、結城秀康の次男松平忠昌に仕え、寛永元年に忠昌が越前松平家三代として入国すると、これに従い家禄百五十石と屋敷を拝領。寛永年間に山城守を受領し、菊紋を許されている。國清初代の作は寛永二十一年紀の重美の刀をはじめ、姿美しく詰み澄んだ地鉄に直刃や華麗な乱刃が冴えて、しかも緻密で精巧な刀身彫刻の施された遺作が多い。 注@…國清の代別については、小島つとむ「山城守國清の代別と銘字判別の一考察」(『刀剣美術』六百五十一〜六百五十三号)に詳しい。 |
Ginza
Choshuya All Rights Reserved