水辺白鷺図鐔
銘 後藤法眼一乗
(花押)

江戸後期 山城国京都-武蔵国江戸
赤銅魚子地撫角形高彫色絵四方打返耳
縦 79mm 横 73mm 切羽台厚さ 4.2㎜

 

水辺白鷺図鐔 銘 後藤法眼一乗(花押)

水辺白鷺図鐔 銘 後藤法眼一乗(花押)



 後藤一乗は、後藤七郎右衛門家四代重乗の子で、寛政三年に京都に生まれた。兄に次左衛門家を継いだ是乗光煕が、弟に七郎右衛門家を継いだ久乗光覧がおり、いずれも一乗に劣らぬ技量と鋭い感性を保持している。九歳で八郎兵衛謙乗の養子となり、半左衛門家の亀乗に金工技術の手ほどきを受け、謙乗の没後に家督を襲い、後藤家の伝統を重んじた龍神や獅子図などを製作している。工銘は、はじめ光貨と切り、光行、光代と改め、光格天皇の御剣を製作して法橋の位を授かり一乗としている。天保年間には江戸の芝新銭座町(現港区浜松町駅辺り)に工房を構え、高い人気を得て多くの注文を受けたが、文久二年に孝明天皇の御太刀製作のために京に戻っており、この功績により法眼に叙せられている。齢七十三であった。
精緻な高彫表現により白鷺と水辺の昆虫を彫り描いたこの鐔は、一乗の七十年に及ぶ技術の集積のみならず、室町時代に始まる後藤家の作品群を考える上でも、歴史の積み重ねの最上端に位置付けられる作である。
この世に存在するすべての光を吸収する漆黒の赤銅地は後藤家の作品の基本。本作は、微妙な青味のある光沢を有する特に質の優れた赤銅地を用いることで、色金の金、銀、朧銀を際立たせる工夫を凝らしている。また、魚子地以外の高彫と耳、切羽台などすべての部位は極微細な石目地を均質に打ち施しており、これも反射をなくして黒を落ち着いた色調とする工夫。それが故に光沢を失うことのない金は鮮やかさを強め、繁栄と永遠の生命を暗示することとなる。これは後藤家の伝統的美意識の背景に備わっているものである。
図柄と構成は、江戸時代を通して絵画に器物にと大流行した、風景の文様表現を柱とする琳派の美観を借りて自然の営みを垣間見る趣向。また、江戸時代に高まった、自然界に生きる小さな生命への探求の視線も窺いとれる。
自然の風景を眺めるという行為は、中国の古典、山水図に遊ぶ意識に通じている。水石、盆石、箱庭なども同様で、自然を研究し、その真理を追究する意識ではなく、情緒的視野の中での自己確認に他ならない。もちろん古くから、米や農作物を得るために自然界の営みを研究し、あるいは鳥獣から作物を防御するための工夫はあった。ただ、純粋に自然科学を学問として採り入れるのは西洋の科学が入ってきて以降、さらに絵画に現れるのは、江戸時代も下ってのこと。例えば一乗には、雪の結晶を文様風に彫り描いた作品がある。一乗が下絵としたのは天保年間に古河藩主土井利位が著した『雪華図説』。利位には、顕微鏡を利用した雪の子細な観察、研究という、自然への探求心があったことはあまりにも有名である。
また花鳥図は、『銀座情報』三九三号表紙の後藤光美作流水に帰雁図大小鐔でも紹介したように、狩野派の絵師が求めた荘厳で華麗な障屏画類が背景にある。もちろんそれらに自然科学探求の意識は希薄だが、細密描写への指向性は強まっている。
主題の観察を突き進め、創造の根拠とした絵師では円山応挙が知られている。後の多くの絵師に影響を与えた応挙もまた、享保年間に渡来した沈南蘋の細密画作法に心が強く動かされたことは、多数の写生画を遺していることでも理解できる。
装剣金工もまた、絵師の精密描写や写実表現と歩調を同じくしている。一方で、先に述べたように琳派の文様美を採り入れることも忘れることがなかった。
ただし、後藤家の本来の描法は鏨の痕跡を強く意識したもので、龍神図では鱗や爪、角、髭を、獅子図では鬣や斑紋を強調したように、象徴化された主題に迫った。幕末までそれらの図を初代祐乗の作風に倣っていたことが証であり、それはまた、武家の規範を守り通さねばならない後藤家の宿命でもあった。
このように家彫様式を守りつつも新たな作風を開拓したのが、流水に帰雁図大小鐔を遺す宗家十五代光美などである。一乗もまた、時代の要求に耳をそばだたせたのであろう、鏨の痕跡を意識させない丁寧な彫刻を専らとし、科学的視野を広げるなど新たな作風に挑んだ一人に他ならない。
縦に揃った小粒で奇麗な魚子地は、夏の午後の強い日差しの中にありながらも水辺の涼やかな空気を感じさせる、これも巧みな画面構成の一つであり、決して背景の省略ではない。水辺を彩る植物は高彫に金銀の色絵。水の流れは肉高く彫り出した筋に銀色絵。鷺は量感のある高彫銀色絵に繊細な毛彫、金の嘴に目玉は艶のある赤銅点象嵌。翼、嘴、小魚を探す鋭い眼差し、そっと上げた足すべてが精緻。蝶とアメンボも高彫に金と朧銀の色絵。アメンボの背後の曲線はアメンボが作り出した水文であろうか、朧銀平象嵌の上に魚子地を打ち施す特殊な技法で描いている。鷺や虫だけでなく、萱の若い穂先、流れに揺れる沢瀉の葉と水草も生命感に溢れている。特に細い身体で水上を自由に動き回るアメンボの写実描写は実物を見るようで美しい。
古典とは異なる視線。後藤一乗の科学的視線が独自の美空間を創出した傑作である。



水辺白鷺図鐔 銘 後藤法眼一乗(花押)



  


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