刀
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肥前國忠吉は元亀三年の生まれ。北九州の戦国大名竜造寺隆信に仕えた祖父と父は、天正十二年忠吉十三歳の時に相継いで没しており、遺された忠吉は親族の刀工の家に身を寄せて鍛冶業を修めた。やがて鍋島勝茂の目に留まり、慶長元年には主命で京埋忠明壽に学んで同三年に帰国し、佐賀城下の長瀬町に鍛冶場を構えた。その作は、山城国来國光等の古名刀を範に出来優れ、最上大業物に列せられているように切れ味優れたことから武家の信頼も高く、五字銘から肥前國忠吉(ごじただ)と称揚されている。 注…表裏の物打辺りに節を焼いた、慶長十年八月吉日紀の直刃出来の刀がある(銀座長州屋蔵)。 |
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