脇差 山城国 慶長頃 約四百五年前
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堀川國廣の門人と伝える丹後守廣幸の、晩年に得意とした相州伝の小脇差。美濃を本国とする廣幸は京に上って國廣に学び、独立して京の堀川に鍛冶場を設けた。はじめ弘幸と銘し、晩年は廣幸と改めて丹後守を受領している。「平安城堀川住弘幸慶長拾三年九月日」の銘を刻す短刀(注@)は、身幅が広い割に重ねを控えた造り込みに細直刃を焼いた出来で、また、相州貞宗を手本としたと想われる古調な彫物の施された短刀(注A)、薙刀直し造の脇差があるなど、創造性に長けた刀工であった。 注@…九寸八分、銀座長州屋所蔵。 |
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