脇差
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細川忠義は幕末の名工細川正義の次男として文化十二年下野国鹿沼に生まれる。美作国津山藩工の父と共に同藩に仕え、嘉永二年に父の元から独立、下総国佐倉藩工となる。その作風は祖師水心子正秀の作刀思想を継承した備前伝。ここにみられる刀は太刀拵に収められていたものであろうか、身幅を控えて腰反りが高く付いた、鎌倉時代の作を見るような優雅な姿。地鉄は小板目肌が微塵に詰むも無地風とはならず、細やかな地景と微塵な地沸によって流れるような肌合いを呈す。正義譲りの腰開きごころの互の目丁子乱刃は焼頭の構成線が変化に富み、これに伴って丁子の足も左右に開き、丸みのある飛焼に三日月形の飛焼を交えるなど独創も窺える優品である。 |
Ginza
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