脇差
銘 総州佐倉士細川忠義
文久二年八月日


Wakizashi
Soshu Sakura shi Hosokawa TADAYOSHI
Bunkyu 2 nen 8 gatsubi



下総国 文久 百五十六年前
Shimousa province, Bunkyu 2, (AD1863, late Edo period), 156 years ago

刃長 二尺二寸六分 Edge length; 68.5cm
反り 四分 Sori (Curvature); approx.1.21cm
元幅 九分二厘 Moto-haba(Width at Ha-machi); approx. 2.79cm
先幅 五分六厘 Saki-haba (Width at Kissaki); approx. 1.7cm
重ね 二分三厘 Kasane (Thickness); approx. 0.7cm

金着二重ハバキ 白鞘入
Gold foil double Habaki / Shirasaya

昭和四十九年京都府登録
特別保存刀剣鑑定書
Tokubetsu-hozon certificate by NBTHK

価格 800,000 円(消費税込)

 細川忠義は幕末の名工細川正義の次男として文化十二年下野国鹿沼に生まれる。美作国津山藩工の父と共に同藩に仕え、嘉永二年に父の元から独立、下総国佐倉藩工となる。その作風は祖師水心子正秀の作刀思想を継承した備前伝。ここにみられる刀は太刀拵に収められていたものであろうか、身幅を控えて腰反りが高く付いた、鎌倉時代の作を見るような優雅な姿。地鉄は小板目肌が微塵に詰むも無地風とはならず、細やかな地景と微塵な地沸によって流れるような肌合いを呈す。正義譲りの腰開きごころの互の目丁子乱刃は焼頭の構成線が変化に富み、これに伴って丁子の足も左右に開き、丸みのある飛焼に三日月形の飛焼を交えるなど独創も窺える優品である。
 忠義は総州佐倉に十一万石を領した徳川譜代の臣堀田氏に仕えた。嘉永六年の黒船来航以降、堀田正睦は老中首座として内外の難局に当たり、その跡を継いだ正倫も「文久大勢一変」と呼ばれるほどに政局の主導権が幕府から京都朝廷を取り巻く志士集団に引き摺られる中、佐幕派の最右翼を担い、鳥羽、伏見の戦後、謹慎した将軍慶喜の身を案じ、幕閣の多くが保身に走って手を拱く中、慶喜の助命嘆願のため勇躍兵を率いて京へ迫る気骨を示した。この刀は文久二年以後、どのような転変を経て今日ここにあるのであろうか。

脇差 銘 総州佐倉士細川忠義 文久二年八月日脇差 銘 総州佐倉士細川忠義 文久二年八月日脇差 銘 総州佐倉士細川忠義 文久二年八月日 白鞘

脇差 銘 総州佐倉士細川忠義 文久二年八月日 切先表脇差 銘 総州佐倉士細川忠義 文久二年八月日 刀身中央表脇差 銘 総州佐倉士細川忠義 文久二年八月日 ハバキ上表


脇差 銘 総州佐倉士細川忠義 文久二年八月日 切先裏脇差 銘 総州佐倉士細川忠義 文久二年八月日 中央裏脇差 銘 総州佐倉士細川忠義 文久二年八月日 刀身区上差裏

脇差 銘 総州佐倉士細川忠義 文久二年八月日 ハバキ

 

忠義押形
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