脇差
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米沢藩上杉家の抱え工綱俊は寛政十年の生まれ。津田助廣の濤瀾乱刃写しの名手父加藤國秀、兄綱英に学んだ後、文化十三年に出府し、麻布飯倉の藩邸に鍛冶場を設けて作刀の拠点とした。備前一文字の丁子乱刃に挑戦し、山田浅右衛門、伊賀乗重などの試刀家(注@)と交流し、美しくしかも刃味の優れた刀を手掛けて新境地を拓いた。因みに天保元年頃、江戸に出た固山宗次と縁を結んで助言し、才能を開花させたのがこの綱俊であった。 注@…「山田五三郎両車 久保田経嘉頭 伊賀乗重両車快截断」との試銘入りの天保九年二月日紀の号雲井の刀がある(『新々刀大鑑』)。 |
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