肥前国 寛永頃 約390年前
Hizen province / Kan'ei era (early Edo period, early 17th century), about 390 years ago
刃長 二尺四寸 Hacho (Edge length) 72.7p
反り 五分八厘 Sori (Curveture) 1.76p
元幅 一寸四厘 Motohaba (width at Ha-machi) 3.16p
先幅 六分六厘強 Saki-haba (wdith at Kissaki) 2.0p
棟重ね 二分二厘
鎬重ね 二分五厘 Kasane (thickenss) 0.76p
金着二重ハバキ 白鞘付 Gold foil double Habaki, Shirasaya
黒蝋色塗鞘打刀拵入 Kuro ro-iro nuri saya, uchigatana koshirae
拵全長 三尺三寸七分 Whole length; 102cm
柄長 七寸五分 Hilt length; 22.8cm
片岡銀作著『肥前刀思考』所載
Put on "Hizen-to Shiko" authered by Kataoka Ginsaku
昭和五十五年東京都登録
特別保存刀剣鑑定書(土佐守)
Tokubetsu-hozon certificate by NBTHK (Tosa no kami)
土佐守忠吉は肥前國忠吉と最も近い親族(注@)。忠吉と寝食を共にし、向鎚を勤めてその作刀を支え、忠吉が寛永元年武蔵大掾を受領して工銘を忠廣と改めると、住人忠吉銘を譲り受け、寛永五年以降土佐守を受領(注A)。忠吉の初期の鍛刀に立ち会ってその秘術を修め、古色ある地刃で物切れのする、武士好みの雄刀(注B)を手掛けている。
この刀は身幅広く、両区深く、鎬地の肉がやや削ぎ落されて鎬重ね厚く、反り高く中鋒に造り込まれ、刃の通り抜けの良さを感じさせる造り込み。地鉄は板目に杢、流れごころの肌を交えて強く肌起ち、粒立った地沸が厚く付いて鎬筋寄りに淡く沸映り立ち、鎬地にも平地の板目鍛えが顕れ、古風で野趣に満ちた肌合い。互の目丁子乱の刃文は山形の刃、矢筈風の刃、尖りごころの刃、角がかった刃、傾斜した刃、小湾れ等を交えて奔放に変化し、刃縁は沸で明るく、刃境に金線、砂流しかかり、細かな沸筋流れ、足、葉盛んに入り、葉の一部は焼頭の中に凝って虻ノ目状となり、肥前刀の特色が顕著で、刃中に銀砂のような沸が充満し照度高い。帽子は横手筋の上で強く焼き込み、横に展開し、強く沸付き、掃き掛けて浅く返る。茎は中程から強く括れて先細くタナゴ腹ごころとなり、個性的な長銘が太鑚で堂々と刻されている。志津兼氏を想起させる仕上がりで、覇気に満ちた同作中の傑作である。
附帯する拵は、龍、鳳凰、獅子図金具の金色が漆黒に映えて豪華。文様を織り出した柄糸を用い、洒落た風情を漂わせている。
注@藤代義雄先生『日本刀工辞典 新刀篇』では「忠吉弟とも云ふが尠くも一族とは思はれる」とある。
注A新左衛門(後の近江大掾)が生まれると、その成長自立を見届け、忠吉家を去ったものであろう。
注B「南蠻鐵」の添銘入の「肥前國住人藤原忠吉」銘の脇差(『銀座情報』百五十三号)、「肥前國住人藤原土佐守忠吉」銘の彫身の脇差(第四十回重要)等、傑出した遺作があり、技量の高さが窺われる。
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