脇差
Settsu province, Kanbun era, early Edo period, late 17th century, about 350 years ago 昭和三十九年秋田県登録
|
康廣は富田五郎左衛門と称し、紀州石堂派の出身で、活躍の場を求めて大坂に進出し、久宝寺 町(注@)に鍛冶場を構えた。濤瀾乱刃の津田越前守助廣、難波正宗と評された井上真改、足長丁子と鮮やかな刀身彫刻の一竿子忠綱など名工の犇めく大坂において、康廣は持ち前の古作に紛れるような映りの立つ地鉄に華麗な備前伝互の目丁子乱の冴えた刃文で一世を風靡し、大坂石堂を代表する刀工として古来人気がある。 注@…現大阪市中央区に北久宝寺町、南久宝寺町の町名が残る。 |
Ginza
Choshuya All Rights Reserved