銘 廣次(相州)


Katana
HIROTSUGU (Soshu)



相模国 明応頃 約五百年前

Sagami province, Meio era, late Muromachi period, late 15th century, about 500 years ago

刃長 一尺九寸七厘 Edge length; 57.8cm
反り 六分 Sori (Curveture); approx.1.82cm
元幅 七分二厘 Moto-haba(Width at Ha-machi); approx. 2.18cm
先幅 五分一厘 Saki-haba (Width at Kissaki); approx. 1.55cm
棟重ね 二分
鎬重ね 二分二厘 Kasane (Thickness); approx. 0.67cm
彫刻 表 草倶利迦羅・二筋樋 裏 二筋樋
Engraving: "So no Kurikara, Futa-suij-hi" on the right face, "Futa-suji-hi" on the back face
金着一重ハバキ 白鞘入 Gold foil single Habaki / Shirasaya

平成二十一年神奈川県登録
特別保存刀剣鑑定書(相州・時代室町)
Tokubetsu-hozon certificate by NBTHK (Soshu, Muromachi period)



 伊勢宗瑞(北条早雲)は室町幕府政所執事伊勢氏の流れを汲む才気煥発の武人。今川家に嫁していた姉北河殿とその子氏親を支援して諸方に進軍し、文明年間に関東管領上杉家の内紛に介入して小田原城を奪い、明応二年に伊豆の堀越公方足利茶々丸を追放して相模西部から伊豆まで領し、永正十三年には扇谷上杉家の臣三浦氏を滅ぼして相模全域を征服し、以降百年に及ぶ戦国大名北条氏の礎を築いた(注@)。
 この刀は、宗瑞が躍動した明応から永正頃(注A)の相模鍛冶(注B)長兵衛廣次の作で、茎が短く片手での操作に適した、現行の登録制度では脇差ながら、当時の武将は刀として左腰に備えた作。身幅重ね尋常に鎬筋張り、先反り強く付いて中鋒に造り込まれ、草倶利迦羅と二筋樋の彫刻が映え、刀姿は慄然と引き締まる(注C)。地鉄は小板目肌が詰み澄み、小粒の地沸で地肌が冷たく締まり、刃寄り深く澄んで、乱れごころの沸映りが立つ。刃文は互の目に丁子、尖りごころの刃を交えて微かに逆がかり、新雪のような小沸で締まった刃縁が明るく、小足、葉盛んに入り、焼頭が匂で尖って一部飛焼となり、細かな金線、砂流し掛かり、微細な沸の粒子で刃中は澄明。帽子は乱れ込み、僅かに掃き掛けて浅く返る。錆色優れた茎には太鑚の二字銘(注D)が丁寧に刻されている。厳選した鋼材で精鍛された一振とみられ、沸が昂然と輝いて美しく、他国にて栄えた相伝鍛冶の作とは一線を画し、相州本国物の優質が示された傑作である。

注@…伊藤一美「戦国時代の鎌倉」(『「鎌倉」の時代』山川出版)、西股総生「伊勢宗瑞と北条氏綱」(『東国武将たちの戦国史』株式会社河出書房新社)参照。
注A…『日本刀工辞典』では明応から永正の廣次の項で、「文明廣次と同人とも見える」と記している。
注B…鎌倉公方が下総国古河に去った後、荒廃した鎌倉とは対照的に繁栄したのが藤沢の遊行寺門前町。「相州藤澤住次廣」と銘した作が『日本刀銘鑑』に見えることから、吉廣、廣次、助廣、隆廣、次廣ら正宗の末裔たる相州鍛冶も藤沢に移住した可能性がある。因みに藤沢には正宗稲荷があるという(福永酔剣先生『刀工遺跡めぐり三三〇選』)。
注C…『御物東博銘刀押形』に棒樋に梵字・蓮台の彫がある相州住廣次作の明應九年二月日紀の一尺九寸七分五厘の脇差があり、本作によく似ている。
注D…銘字は「景秋 廣次作 明應五年丙辰八月日」の脇差(『銀座情報』百五十二号)のそれに酷似。なお、これにも濃密な龍図刀身彫と仏筋樋がある。

刀 銘 廣次(相州)刀 銘 廣次(相州)刀 銘 廣次(相州) 白鞘

刀 銘 廣次(相州) 切先表刀 銘 廣次(相州) 刀身中央表刀 銘 廣次(相州) ハバキ上表


刀 銘 廣次(相州) 切先裏刀 銘 廣次(相州) 中央裏刀 銘 廣次(相州) 刀身区上差裏

刀 銘 廣次(相州)  ハバキ


廣次押形
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